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VCUについて、伊藤拓磨くんに聞きました。?の続きです

ジェフ・ケーペルからリクルートされた伊藤拓磨君はVCUの学生で有りながら、NCAAのルールでコーチが指導できない時期に選手をコーチしました。

そのケーペルも2年後の06年、契約切れと同時にオクラホマ大(前回テキサス大と書きましたが、NYの泰輔君から、違うと指摘がありました(汗))から大抜擢されました。

06年から3シーズン、VCUをコーチしたのはアンソニー・グラントと言ふ人で、始めてフロリダ大が優勝したときにアソシエイト・コーチをしていました。

彼は1年目からNCAAトーナメントに出場して、1回戦であのデューク大を破ったのです。

2回戦ではピッツバーグ大相手にOTに持ち込みました。

そのときに拓磨くんは現オクラホマ・サンダーのG エリック・メイナーとミルウォーキー・バックスのF/Cラリー・サンダーの2人をコーチしてるそうです。未来のNBA選手をコーチしたなんて凄い!

グラントの3年目はNCAAトーナメント1回戦で惜しくもUCLAに1点差負けだそうです。

グラントはその後アラバマ大から招聘されてます。今シーズンはSECトーナメントでケンタッキー大に破れNITトーナメントに出場しました。

そのグラントの後を引き継ぎ、今シーズンからコーチに就任したのが当時31歳と言ふ超若いシェイカ・スマートです。彼もやはりフロリダ大でアシスタント・コーチをしていたので、フロリダ大繋がりと言へます。

そのスマートと伊藤君は入れ違いなのですが、何日か一緒に居たことで、今でもメールでやり取りしてるとか。

スマートのバスケットはリック・ピティーノ系で上からプレスを掛けるタイプだそうです。

大学はバスケット部にはお金を掛けているようで、若く優秀なコーチを引っ張ってきます。

優秀でも実績がない若いコーチには、このVCUはステップアップのための良い舞台のようです。

彼らにするとミッドメジャー(中級)と呼ばれる大学を強くして実績を付け、次にメジャー級の大学から引き抜かれるのを待っているようです。

今日は初のファイナル4です。ケンタッキー大相手に得意の3Pが爆発するか??

地元はかなり盛り上がってますよ。

浜口仙台コーチ

活動を休止したbj仙台89ersの元ヘッドコーチ浜口 炎さんに付いて書かれた英字新聞The Japan Timesの記事を紹介してます。

↓がそのサイトです。

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/sp20110314eo.html
 
3/14/2011 The Japan Timesの訳
浜口監督、確かな舵取りで89ersを導く。
 エド・オデヴェン著

浜口氏は、「私の哲学は3つの事から成り立っています。」と春日部市民体育館において語ってくれた。

「お互いを尊重すること。基本重視のチームバスケットボール。一生懸命にプレーする、協力してプレーすること。」この三つの点に付いて試合の後のインタビューで説明してくれた。

 

「まず最初にお互いを尊重し合う事。私はすべてを管理する権力者ではありません。もし選手がいなければ私はコーチできません。もし、マネージャやトレーナーもいなければチームが成り立ちません。よって私たちはお互いを尊重し、選手や色々な人々でチームが成り立っている事を理解しなくてはなりません。」

 

「次に、基本重視のチームバスケットボールに付いて、今は私たちも才能を持った選手がチームにいますが、他のチームに比べて格別に才能が勝っているとは思いません。日本人選手だけを比べると、埼玉や他のチームの方が優れた選手がいます。」

「やはり、基本を重視しているチームこそ勝利につながって行くと思います。」

 

「3つ目、一生懸命にプレーする、協力してプレーする事は、私の大学時代の監督(日立サンロッカーズHC監督 小野秀二氏)から教えて頂きました。」

 

bjリーグに入って最初のシーズンを89ersでプレーしたオールスター フォワード、マイク・ベル選手も浜口氏のコーチングの哲学は選手たちに受け入れ理解されていたと語る。

「監督は我々選手に協力してプレーする事を指導した。そして私たちにチーム力が備わり、さらに練習するように言いました。私たちは常に次の練習に備えていました。」

何に備えていたのですかと聞いてみた。

「課題は毎週変わります。」と彼は答えた。「対戦相手によって代わります。やはり対戦相手の強みに対し備えますが、実際に大事なのは自分たちが相手に何ができるかです。実際は対戦相手の強みにはそれほど恐れていません。自分たちが自分たちの最高のプレーをすることが勝利へとつながります。」

*****

浜口氏のコーチングキャリアは1994年に始まった。25歳になった年、愛知学泉大学のアシスタントコーチとして7年間勤務。その数年後、渡米し、カリフォルニア州 バイオラ大学でコーチングスタッフとして在籍(2002-03年)、そしてアリゾナ州立大学で(2003-04年)過ごす。

現在カレッジレベルの監督として41シーズン目またアーカンサス大学で4シーズン目になるロブ・エバンズ コーチの元、ボランティアアシスタントコーチとして学ぶ。89ersの監督就任まえの1シーズン、トヨタ自動車アルバルクのアシスタントコーチとして就任する。(2004-05年)

 

「彼のことはよく覚えています。」とエバンズ氏はEメールで述べている。「彼はとても勤勉で毎日練習中ノートに記録を取っていた。毎日早くから練習に来て、少し下がった所から観察するようにしていた。しかし練習で起きている事のすべてを吸収している事が分かった。彼が成功すると確信していたが、実際に成功し活躍している事を聞いてとても嬉しく思っています。」

 

指導者は逆境において他者を導いて行く事は試練である。今現在起こっている事は先行き不明瞭の中、最大の試練であるが、将来89ersが再び宮城県の人々を勇気付ける事を願う。

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