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個性的な選手が多いチームと言へば日本鉱業(ニッコウと呼ぶ人も多いですが、日本鋼管もニッコウと読めることから、同じくニッコウと呼ぶ人が居て、紛らわしいので鉱業と呼びます。)に敵うチームは無いでしょう(笑)

真面目風に見える鋼管に対し、不真面目風なのが鉱業でした(笑)

上写真 左児玉さん 右志賀さん

チビダマとも悪玉ともジダマとも呼ばれた児玉敏(170㎝明治大)さんはリードマンでありながら、外からのシュートもドリブルで突っ込んでのシュートも上手い選手でしたね。少し怖い顔をしてることで悪玉さんも呼ばれてましたが、上手い選手でしたね!

上写真 レイアップは児玉さん 左下はエリックさん

チビダマさん以外にも良いガードが揃ってました。

シューターの多岐格(177㎝明治大)さんは優男って感じで、同じくミドル・シュート(死語ですね、いまなら3Pシュートの距離でしょうか)が入った岡山啓三(176㎝立教大)さんは通称お啓ちゃんと呼ばれて居て、この辺りのメンバーは鉱業らしい個性派でしたね。

上写真 多岐さん

その中で真面目派でディフェンスが良くシュートの上手い志賀政司(176㎝明治大)さんが光ってました。エリックさんと呼ばれた中村邦彦(186㎝)さんは明治学院大と言ふバスケ界では無名の大学から入社した大型シューターでしたね。

 

このチームの特徴は、個性派と言ふだけではありません、長身者を2人抱えていたってことです。
今では考えられませんが、当時190㎝も有れば大型選手と呼ばれインサイド(ペイント・エリア内、以下I/Sと略す)で活躍する選手と決まってました。

上写真 小玉さんレイアップ

ところが小玉晃(195㎝東京教育大)さんはこの身長(今で言へば205㎝程の感覚でしょうか?)で動けて走れるフォワードでした。もちろんI/Sでも仕事できます。飄々とした感じの選手でした。ガードに背の低い児玉さんが居てフォワードに背の高い小玉さん、字が逆だろうって受けてましたよね(笑) 漢字の読み方の関係で「しょうだま」とも呼ばれてました。

 

ビッグマンが1人だけなら驚きませんが、もう一人ピュア・センターの角田勝次(196㎝明治大)さんが居ました。長身を生かしたフック・シュートが上手かったですね。

上写真 角田さん得意なフックシュート

この二人がD・Rebを獲って児玉さんがドリブルで速攻に持ち込むのが鉱業のパターンでしたね。

 

そして鉱業の選手達は良く銀座で飲んでいたって話も聞きましたね(笑)

 

第1回日本リーグでは八幡製鉄と同率の5勝2敗でしたが、直接対決で勝っているため3位になりました。

 

因みに日本リーグ後に行はれたオールジャパン(全日本選手権)では4強で行はれた決勝リーグで、住金、鋼管、八幡製鉄に全勝し、優勝しました。

優秀選手に児玉さん、中村さん、角田さんが選ばれました。

 

遊びで作ったあんたかベイビーのイラストが入ったマスク。

意外と評判が良くて!!  (笑)
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今日 横浜ビーコルセアーズのチアB-Rose(ビーコル・ローズ、薔薇は横浜市花です)の10回目のオーディションがありました。

コロナ禍の中会場のビーコル・センターのスタジオで行はれましたが、会場が狭いために候補者を午前午後に分けオーディションは行はれ、若干地味な雰囲気で残念でした。

思い起こすこと10年前の4月24日、横浜文化体育館の別館で初代B-Rose のオーディションがやはり植村綾子プロデューサーのもと行はれたんです。
この年はエンターテインメント性を前面に出し、単なるチアガールだけの募集ではなかったんですね。パフォーマーとしてパントマイム、歌のトリオやお笑いグループも、全部で50人近く応募してきました。
TVKや他のメディアの方々も取材に来てくれました!
あれから10年目を迎える訳ですね!

当時のスタッフ 左から小川GM、廣田社長、植村P、草山演出P、白澤君

色々な人が応募してきましたね。

チアダンサーだけじゃなく、パフォーマーも

B-Roseの初仕事はブースター・ミーティングでのお披露目だったかな?
全員ではありませんが、、、

選ばれて直ぐのお仕事でユニフォームが出来て無く、間に合わせ的なコスチュームでした(笑)
前列右から2人目は小学生でした、特例的なかんじで、
初代から引き続いているのは前列左から2人目のMakiちゃんだけです!

また横浜開港祭でもブースをお借りしてお披露目をしました。

‘67年11月から始まった日本リーグですが、この年のオールジャパン(全日本選手権大会とか天皇杯、皇后杯とか名称が多くて面倒くさいですね。統一して欲しいものです、せめてメディア内だけでも)の男子では、決勝リーグ(この時代は4ブロックに分けトーナメントを行ひ、その4強でリーグ戦をしてました)に進出したファイナル4(4強)は男子日本鉱業(鉱業)、日本鋼管(鋼管)、日本大学早稲田大学。女子 ニチボー平野日本勧業銀行、日本体育大学、日本レイヨンでした。

住友金属(住金)はブロック決勝で日大に47-54で敗れ、松下電器(松下)に至っては1回戦で鋼管OBに54-55で敗れています。確かこのゲームは見てましたね、気楽に戦えた鋼管OB(特に引退したての若手?)の出来が良すぎた筈です。

と言ふことなので、当時は全日本級については素人状態の私にとって、住金も松下も殆ど知識がない状態でした。学生の大会はそこそこ見てはいましたけどね、、

 

それがいきなり松下が優勝してビックリです!

MVPの戸田正久って誰?(笑)

から始まって、ひょろっとした193㎝の大和久生さんは同志社大出身なので、まるっきり判りませんでした(^^;

そして下野昭年(183㎝中央大)の3人が得点源でした。

大和さんが最長身でしたが、ゴール下だけじゃなくペイント内のシュートが得意だったような記憶があります。

上写真 松下・大和選手 ルーキーでした

引退後は日本実業団連盟(日本実連)で一緒にお仕事して、可愛がってもらった戸田さんは、ペリメーターが得意なシューターだった筈です。

残念ながら戸田さんの写真が見つかりません(涙)

松下は2-3のゾーン・ディフェンスが得意とイラストに書いてありました(笑)

優勝はしたものの、関東人の私にはそれほど興味が湧いてなかったチームでした、ごめんなさいm(__)m

 

6勝1敗で松下と同率ながら直接対戦で松下に負けている鋼管は2位でした。優勝候補#1でした。

若林薫(178㎝東京教育大)さんはクレバーでBBIQが高く冷静なPGでしたね。難局面でもこの人ならどうにかしてくれる、と思へる選手でした。

上写真 若林さんの速攻からのパスです。

良いPGと言ふとパスが上手くて、と言ふ印象ですが、若林さんはスピードもあり、シュートも上手い選手でした。ローマ、東京と2度のオリンピックと世界選手権、そして数多くのアジア選手権やアジア大会に出場して、この年のナショナル・チーム(今で言ふ日本代表)のキャプテンでした!

顔も渋くて、いはゆる「玄人受け」する選手でした。

そして私の憧れの選手でもあり、引退後に鋼管のコーチに就任した時、連載の技術解説をしてもらいましたが、私が担当になり毎回話を聞きに行くのが楽しみでした。

 

得点面のスターと言へば諸山文彦(186㎝日本大)さん、通称「モロさん」です。
初代ミスター・バスケットと言はれた人で、端正な顔立ちと、奇麗なシュートフォームで、幅広いファン層を持ってました。日本バスケ界では超有名な選手でした。

下写真 諸山選手(この大会の写真ではありません)

退職した現在は神奈川県の某病院の理事を務めているとか、今もシニアのちーむでプレーしてるとか聞きます。ただゲームになるとレフリーに文句ばかり言ってると、あまり評判は良くありません(笑)

現役中はクラッチ・シューターではありませんでした、大事な場面で決められなかったことは何度かありました(笑)

しかしミュンヘン・オリンピックの最終予選だったと思ひます。

東京で行はれましたが、決勝戦は韓国との対戦で、代々木第2体育館は両国の応援で凄い熱気の中でシーソーゲームだった筈です。

同点か1点ビハインドで日本最後の攻撃で、モロさんが右ウイングからジャンプ・シュートを撃ちました。その瞬間 私は「ヤバい!」と思はず叫んでしまったのです。

想像通りボールはリングに蹴飛ばされましたが、そこに飛び込んだのはモロさんでした!!
シュートの軌道を見て反射的にリバウンドに行ったのでしょう!

ボールが上手く帰ってきたことも有りモロさんがしっかりと掴んでそのままシュート。

それが決まって日本が勝利してオリンピック出場を決めました!

(もしかしたらゲームが間違っているかもしれません(^^;

ただ一番大事なゲームで決勝点を入れたことは間違いありません!!)

他にはシューターの平山輝武(175㎝日本大)と木村勲(176㎝早稲田大)が居て、渋いフォワードの野添敬四郎(182㎝明治大)さんも地味に活躍してましたね!
今で言ふシューティング・ガードまたはスモール・フォワードに粟野吉洲(182cm東京教育大)さんが居て地味に外から得点してましたね。今は鎌倉市バスケットボール協会の会長をしていて、以前はコーチしていたことも有り、中学の大会には良くお見えになります。

その時は良くお話します、通常は「粟野さん」と呼んでますが、話が弾んで「粟ちゃん」と呼んでしまうことがあります(笑)

 

三井生命

会社が大手町にあり、練習場は柏だったと思ひます。

丸山好子(167㎝)さんのシュート力頼りみたいなところがありましたが、基本はディフェンスのチームでしたね。

主力の浅川乃扶子(163㎝)さんが東京の関東高出身と言ふことも有って仲良くしてもらえました。他の方も大手町勤務なのでさばけた方も多く、チーム全体で良くお話はしてましたね。

興銀同様能力の高い長身者が居なかったので、成績は今一でしたが、ニチボーに一番接戦したのは三井でした。

男女ともに日本リーグ入りしたのは三井生命だけでした!

 

東京芝浦電気(以下東芝)

東芝は川崎駅前周辺に町名の着いた工場が沢山あり、各工場でバスケ・チームを持ってました。男子は東芝小向工場チームが強く、会社を代表するチームでした。

たしか柳町工場だったと思ひますが、女子は柳町工場の道を挟んだところ、今のブリリアタワー川崎の辺りに体育館と合宿所がありました。

主力は横山あさ子(168㎝、世界選手権メンバー))で、外のシュートも上手いし、ドライブするのも早かった記憶があります、同い年だったことも有り話しやすい性格だったことも有り、良く話しては居ました。

そしてもう一人はチビの豊川スエ(156㎝位)。天才シューターと言って良いほどシュートが上手かったですね。

いつのゲームだか、相手はどこだか忘れましたけど、競っていた終了間際にハーフ・ラインの端っこに追い詰められ、自分より大きい選手にWチームされながらもジャンプシュートを決め、同点だか逆転勝利をおさめたと、朧げな記憶があります。

ゲーム後に話を聞いたら、元々目が悪くてリングはハッキリとは見えなかった、と言ってたのを覚えてます(笑)
スエちゃんはその後東芝を引退後 安城学園大へ進み、天才的PGの平塚美佐子とコンボ・ガードを組み‘71年第17回インカレで優勝しています。たしか50過ぎ迄 区民大会に出場してましたよ。

監督は世界選手権時に監督を務めたことのある桜井さんでした。

 

日本レイヨン

京都のチームでしたね、その後「ニチレイ宇治」と変わりました。

エモさんと呼んで居た江守良子(160㎝、世界選手権メンバー)さんはスピードこそなかったけどシュートが上手くバスケIQが高いPGでしたね!
小太りだったことも有り、そのころから田舎の気さくなおばちゃん風で、良く話してくれました!

そこにフォワードの角谷(166㎝、世界選手権メンバー)と門脇(166㎝)が得点してました。選手は会社の方針なのか、有名校や全国大会で目立った選手位は居ませんでしたが、ディフェンスを頑張り、全員が得点できる纏まった良いチームでしたね。

関西だったのでなじみが少なかったのが残念でした!

日本リーグでは5位でしたが、全日本総合選手権では女王ニチボーに2点差の好ゲームで準優勝してます。

コーチは栗山さんでした。

 

 

日本通運

浦和に体育館(合宿所)があり、何度かお邪魔したことがあります。たしか浦和駅の西方に有った別所沼の辺りだと思ひます。
東京オリンピックの会場に埼玉県の熊谷だか大宮がなっていて、そこを繋ぐ為の道路、所謂オリンピック道路が実家の近く練馬区谷原から出来ていたので浦和には簡単に行けたからです。半世紀前ですから畑ばかりなので用地はたっぷりありましたから広い道でしたね!

 

元々は埼玉県は浦和女子高、川越女子高等高校までは強かったのですが、強豪校は進学校でもありそのまま上へは繋がらず実業団チームも無かったため、体育協会が「県内に強いチームが必要」と言ふことで日通に頼んで出来たチームと聞いています。創部した年に国体で8位になった、とどこかで読んだ記憶がります(^^;

チームとしては、強豪高から有名選手をリクルートするわけではなく(強くなかったし、会社もそれ程力を入れてなかったようでした)、そこそこの力でしたね。

記憶は薄いのですが、草間典子(163cm)さん、稲葉康子(163㎝)さん、奥原さん、中山さんあたりが活躍していたと思ひますが、このチームに欠かせないのは、細くて明るいことからオリーブと呼ばれていた前川和子(173㎝)です。

現在では笑われそうですが173㎝と言ふ長身でゴール下を頑張っていました。運動能力も高く走れて動けた程で、その能力を買われ中学卒業でいきなり実業団入りしています。
コーチは石橋 晃さんでした。

部長の田中さんが良い人だったことも覚えてます!

 

三菱電機名古屋(以下三菱)

現在も三菱電機コアラーズhttp://www.mitsubishielectric.co.jp/basket/koalas/index.html として残る唯一のチームです。家電業界で三菱電機と日立は会社として強い、と東芝の関係者が言ってましたが、その通りですね。

このチームは伝統があり、64年の世界選手権大会に単独チームで参加している実績がある。たしか浅野さんと言ふ会社だか工場内での実力者の後ろ盾が居て強さを保っていました。

ただ名古屋のチームの上、この頃はそれほど強くなかったので、接点は少なく、親しくはしてませんでした(^^;

島田(160㎝)中心のチームだったと思ひます。吉沢(160㎝)も名前はおぼえてますけど、、

小川(167㎝)がフォワードで点取り屋さんだったような(^^;

 

◆第1回大会の結果

優 勝:ニチボー 7-0

準優勝:勧業銀行 4-3

3 位:興業銀行 4-3

4 位:三井生命 4-3

5 位:日本レイヨン 4-3

6 位:日本通運 2-5

7 位:三菱電機 2-5

8 位:東芝   1-6

 

◆記者投票 ベスト5

・柳 登美子 (ニチボー)

・新垣 たけ子 (勧銀)

・黄 蘭子 (ニチボー)

・前田 洋子 (ニチボー)

・横山 アサ子 (東芝)

#バスケ日本リーグ
#第1回バスケ日本リーグ女子

#ニチボー平野

 

「女子については次回に」と前回書きましたが、男子ももっと書きたいことがありますが、とりあへず女子について。

 

その前に、前回日本リーグに対し 若干間違った書き方をしたようです。イラストには次のように書いてありました。

「このリーグは第22回全日本実業団選手権大会を兼ねたものであり、日本リーグ男子8チーム、女子8チーム選出は、11月1~3日の間、男子32チーム、女子24チームの参加のもとに予選リーグを行い決定したものです。」原文通り。

 

女子と言へば、やはり尾崎正敏監督率いるニチボー平野ですよね。この時まで国内150連勝ほどしてました、正確な数字は覚えてません(^^;

ニチボーと言へば貝塚の女子バレーを思ひだす人もいるかもしれませんが、バスケは平野ですよ!
1968年まで「国内公式戦171連勝」してますからね!!

その原動力はやはり早稲田大出身の尾崎さんですね。この後女子ナショナルチーム(日本代表チーム)を‘75世界選手権で2位に導いた名匠で、忍者ディフェンスと言ふオールコート・プレスで世界に恐れられた監督です。

そう言へば「マッハ攻撃」と言うスピードある攻撃も武器で、‘76年モントリオール・オリンピックでUSAを破り5位になりましたからね。尾崎さんはゲーム後も良く話をしてくれました。当時にしてはメディア対応の重要性を判っていた監督ですね!

ニチボー平野(以下ニチボー)はセンター柳登美子(178㎝、左写真No.4)さんともう一人のセンターで発展途上の黄蘭子(182㎝)がインサイドでの得点源となり、外からは小さい前田洋子(159㎝、下写真No.6)と坪井(165㎝)のシュートとスピードある攻撃とディフェンスの強さが武器でした。

 

黄は天然が入った可愛い子でインタビューもちゃんと答えていました。一番話をしたのは前田で面白い子(年上だったかな?)でしたね。話が出来るのはその2人位でしたね。

 

 

 

 

さてさてニチボーですが、関西と言ふことと強すぎて近付き辛いと言ふことも有って、それほど仲良しではありませんでしたm(__)m
ニチボーはバレーの貝塚張りの豊富な練習量と強いディフェンスが持ち味で、ダントツの強さでしたが、若い私には一寸近寄りがたチームでした。

ナンでも尾崎さんがバレーの大松さんと張り合っていたって聞いたことはあります。

本来はこのチームに もっと私から話し掛けなくてはいけなかったのでしょうけど!

ただ数年後に女子ナショナルチームの合宿に行ったときに、結構ニチボーの子達と話していて、その後は良いインタビューが出来ていたような気はしますが、、、

 

関東では、日本勧業銀行(以下勧銀)の岡田さんは当時にしては珍しく大学(安城学園女子短大)出身でのためか、愛想が良いと言ふわけではないのですがよく話してくれました。上手いPGでしたね。同じ安城短大卒の175m新垣たけ子(下写真、白ブロックしている選手)さんとも喋りしましたね、当時は珍しい沖縄出身です。


銀行と言ふ性格上、当時は高卒が多い中で、大卒者が多いのも特徴でしたね。この数年がキーポイントだと思ひますが、、、

 

コーチは従野先生は学習院高の先生をしており東京教育大出身と言ふことも有り、良くしてくれました!
先々シーズンには、教え子の中川ひろ子の息子で確か島根に居た横尾くんの応援で中川と一緒に国際プール(?)へ応援に来てくれました!

 

日本興業銀行(以下興銀)はキャプテン下田さんを始め諸岡さんや小高のように気安い東京出身者が多かったですね。安城出身の浅野、太田瀬と言ふ上手い選手が中心でしたが、スタメンには最長身168㎝と長身センターが居ないのが辛かったですね。スタッフに知り合いが居たためか、結構選手達とは仲が良かったですね。

銀行員と言ふ性格なのか、ガッツ剥き出しの選手が少なかったですね。
勧銀同様 大学卒選手が多くなりました、主に安城学園大ですが。

東京オリンピック日本チームのヘッドコーチをされて居た吉井四郎さんがコーチしていて、ディフェンスが良い面白いチームでした。

そう言へば小高ふっこちゃんとはデートしたことがあったっけ!!(笑)

 

今回はここまで

次回は三井生命、東芝、ニチレイ宇治、三菱電機名古屋、日本通運について書きます。

勧銀のコーチ名を間違えていましたので、訂正しました。

日本リーグの話をします。

今の人には日本リーグと言ってもピンとこないでしょうが、年寄りは直ぐ判りますね(笑)
現在のBリーグ+WJBL つまり日本の男女合同トップ・リーグといふことです。

 

私がこのバスケ業界に足を突っ込んだのは月刊専門誌の「Basketball Illustrated」誌の編集の手伝いをしたことから始まったと前々回に書きましたが、それは1966年でした。

この‘66年と言ふのは「日本リーグ」が出来る前年で準備期間でした。そして私が本格的に編集に携わるようになったのが’67年。この日本リーグが始まったのが1967年、つまり私のバスケ人生とスタートが一緒なので、思ひ出深いものがあるんです

 

夏には東京ユニバーシアード大会がバスケの聖地と言はれた国立競技場代々木第二体育館(以下 代々木第二体育館)で行はれ、11月4日その代々木第二体育館で第1回バスケットボール日本リーグが開幕しました。

 

元々は日本バスケットボール協会(以下 日本協会)と日本実業団連盟(以下日本実連)が共催していた日本実業団選手権大会が‘47年から開催(‘57年に「高松宮杯下賜」となる)されていましたが、サッカーが’66年、バレーボールが同じ‘67年に日本リーグと称し、ちょっとした日本リーグ・ブームに遅れまいとリーグ化したわけです。

 

実連と言ふのは、地方実連がありその総まとめが日本実連ですが、日本リーグ出場チームを決めるため‘67年11月1~3日、つまり開幕の前日まで大会を行っていました。

東北、関東、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州の各地方から代表チームが集まり男子は各6チーム8ブロック(計48チーム)に分かれ、女子は各3チーム8ブロック(計24チーム)でリーグ戦を行ひ、各ブロック上位1チームが日本リーグへの参加を決めたようです!!

そのチームは

◆男 子

日本鋼管(→NKK→JFE。通称鋼管)、日本鉱業(現JX金属。通称鉱業)、三井生命(現大樹生命)、大和証券、東京海上(以上関東)

松下電器(現パナソニック)、住友金属(→新日鉄住金→日本製鉄。通称住金) 以上近畿

八幡製鉄(→新日本製鉄→新日鉄住金→日本製鉄) 九州(多分)

♥女 子

ニチボー平野(→ユニチカ山崎→ユニチカ)、日本レイヨン(→ニチレイ宇治→ユニチカ宇治) 以上近畿

日本勧業銀行(→第一勧業銀行→DKB→みずほ銀行)、日本興業銀行(→富士銀行→みずほ銀行)、三井生命、日本通運 東芝 以上関東

三菱電機名古屋 東海

合計16チームで始まりましたが、現在も存続しているのは女子の三菱電機名古屋だけです。

ほか15チームは全て休部(廃部)となってしまいました。

寂しいですね!!
日本リーグ開幕のタイトルを見開き2ページで。このあと8ページに渡って特集してます。
この頃は196㎝で最長身でしたから、日本人は身長が伸びましたね!!

 

イラストも出来たばかりで、尚且つ持ち逃げされた後(笑)なので資金力は無いため、もっぱら東京を中心とする関東リーグ(実業団も学生も)を中心に取材してました。

その上男子は全日本選手権大会では鋼管か鉱業のどちらかが優勝していたので、関東しか眼中にありませんでした。

 

女子は流石に「ニチボー平野」が国内で連勝を続けていたので、尾崎監督率いるニチボーが強い、と言ふことは知ってました。

 

実はこの直前に国体が開催されていて、一般男子(現青年男子)は各県1チームで神奈川県代表で日本鋼管が出場 ←反則です!

と言っても決勝の相手は大阪府、松下電器なので、お互い様(笑)

47-46の1点差で鋼管が優勝しました。

女子はニチボーは出ておらずニチレが日通を下して優勝しました。

因みに高校の部では男子は秋田県能代工業高が女子も秋田県大曲高が優勝してます。当時は学校単位の出場だったようです。

 

さて第一回目の日本リーグ、男子はベテランPG若林を中心に諸山、木村、平山等のスター軍団+地味な野添、粟野・鋼管と、曲者PG児玉がリーダーに見えて実際はしきていた志賀やシューター中村、そして当時は日本最長身(196㎝)小玉、角田コンビ、もう一人シューター岡山さんもいた鉱業。

それと私の憧れだった江川(エガチョン)さんの居る八幡製鉄が中心になると思ってました。

大体住金や松下って知らなかった(^^;

 

女子については次回に

新型コロナウィルス(COVID-19 )の関係で中断していたNBA2019-20シーズンは7月31日(日本時間8月1日)に再開することが決定しました。

中断していたことにより、今後のスケジュールがどのようになるのか、6月7日付けNBA.COMより抜粋しました。

 

2019-20シーズンのNBAは現地時間(以下同様)3月11日、新型コロナウイルスのパンデミックにより停止しましたが、6月4日、NBA理事会は、7月31日から22チームでシーズンを再開させる競技フォーマットを承認した。理事会承認はシーズン再開に向けて必要となる多くのステップの公式な第一歩であり、NBAはNBPA(選手会)とともに包括的なシーズン再開プランの完成を目指している。

残りのシーズンで全試合や練習を開催する唯一の場所として、フロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートを使用することに関してウォルト・ディズニー社と合意することも、シーズン再開の条件となる。

Q:2019-20シーズンはいつ再開され、いつ閉幕する?

予定では再開は7月31日。

NBAファイナルは10月12日までに終了予定。

 

Q:再開するチームは?

合計で以下の22チーム。

◆イースタン・カンファレンス

ミルウォーキー・バックス(53勝12敗。C-1)

トロント・ラプターズ(46勝18敗A-1)

ボストン・セルティックス(43勝21敗A-2)

マイアミ・ヒート(41勝24敗SE-1)

インディアナ・ペイサーズ(39勝26敗C-1)

フィラデルフィア・76ers(39勝26敗A-3)

ブルックリン・ネッツ(30勝34敗A-4)

オーランド・マジック(30勝35敗SE-2)

ワシントン・ウィザーズ(24勝40敗SE-3)

 

ウェスタン・カンファレンス

ロサンゼルス・レイカーズ(49勝14敗P-1)

ロサンゼルス・クリッパーズ(44勝20敗P-2)

デンバー・ナゲッツ(43勝22敗NW-1)

ユタ・ジャズ(41勝23敗NW-2)

オクラホマシティ・サンダー(40勝24敗NW-3)

ヒューストン・ロケッツ(40勝24敗SW-1)

ダラス・マーベリックス(40勝27敗SW-2)

メンフィス・グリズリーズ(32勝33敗SW-3)

ポートランド・トレイルブレイザーズ(29勝37敗NW-4)

ニューオーリンズ・ペリカンズ(28勝36敗SW-4)

サクラメント・キングス(28勝36敗P-3)

サンアントニオ・スパーズ(27勝36敗SW-5)

フェニックス・サンズ(26勝39敗P-4)

 

現在プレイオフ出場圏内にいる16チームと、各カンファレンスの8位チームに6ゲーム差以内の6チーム。←八村塁のワシントン・ウィザーズはこれに当て嵌まるためにギリギリ出場出来ることになったわけです!

*注釈 A-アトランティック・ディビジョン、C-セントラル・ディビジョン、SE-サウスイースト・ディビジョン
NW-ノースエウスト・ディビジョン、P-パシフィック・ディビジョン、SW-サウスウエスト・ディビジョン

 

Q:シーディングゲーム(順位決定戦)とは?

プレイオフの前に各チームが戦う8試合。試合は各チームのレギュラーシーズンの成績から選定される。

 

Q:試合開催はどこで?

フロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが試合と練習の開催地となる予定。再開後のシーズンで選手たちが滞在する唯一の場所となる。

 

Q:NBAのメディカルプロトコルとは?

NBAとNBPA(選手会)は、感染症や公衆衛生の専門家および政府当局とともに、定期的な検査プロトコルや厳格な安全手順など、新型コロナウイルス(COVID-19)関連リスクの抑制・予防のための厳格なプログラムの確立に取り組んでいる。

 

Q:22チームはそれぞれプレイオフ開始前に合計でどれくらいの試合数を消化し、プレイオフのシード順はどのように決定する?

チームにより異なる。だが、大半はシーディングゲームの8試合とレギュラーシーズンで今まで消化した試合を合わせて72試合又は73試合になる。

最多はダラス・マーベリックスの75試合、最少はサンアントニオ・スパーズとロサンゼルス・レイカーズの71試合。

 

レギュラーシーズンとシーディングゲームを合計した成績で各カンファレンスの上位7チームがプレイオフに進出。

これらの7チームのシード順は通常のタイブレーカー方式が適用される。第8シードはプレイイン・トーナメント(プレイオフ出場チーム決定戦)で決まる可能性がある。

 

Q:プレイイン・トーナメントはどのように行なわれる?

各カンファレンスの8位チームが9位チームに4ゲーム差以上をつけた成績だった場合、プレイイン・トーナメントは行なわれない。レギュラーシーズンとシーディングゲームの合計成績で8位のチームがプレイオフ最後の1枠を手にする。

だが、8位チームと9位チームが4ゲーム差以下の場合は、その2チームが最後のプレイオフ出場権を競うことになる。このプレイイン・トーナメントは基本的に1又は2試合。

8位チームは1勝すればプレイオフ出場決定。

9位チームは2連勝でプレイオフ出場決定。

 

Q:プレイオフに何か違いはある?

ない。出場する16チームが決定したら、NBAプレイオフはカンファレンスごとに、ファーストラウンド、カンファレンス・セミファイナル、カンファレンス・ファイナル、そしてNBAファイナルと、通常の7試合4戦先勝制で行なわれる。

 

Q:NBAドラフトロッタリーはいつ?

8月25日(同26日)。それには7月31日(同8月1日)にシーズンが再開されることが前提となる。

14のロッタリーチームは、再開に含まれない8チームと、再開に含まれるもののプレイオフ不出場となる6チームになる。これらのチームはロッタリーでシード付けされ、3月11日(同12日)までの試合の成績に基づいてオッズが決まる。

プレイオフに出場する16チームは、レギュラーシーズンとシーディングゲームを合わせた成績で下から順に指名していく。

 

Q:NBAドラフトはいつ?

10月15日。ただし予定通り7月31日(同8月1日)にシーズンが再開されることが前提。

 

Q:2020-21シーズンの開幕はいつ?

2020年12月1日の見込み。

但し予定通り7月31日(同8月1日)に2019-20シーズンが再開されることが前提。

 

トレーニングキャンプやフリーエージェント開始などその他の予定は現時点で未定。

#NBA再開

前回はファッション・オブ・ファイブ(FOF)についてもちょっと中途半端でしたね。

こんな原稿も書いてました。Vol.7,No.11(1973年)にはハーフスリーブのゲーム用ウォームアップについてです。
大分イラストが上手くなりました(笑)


いかにもバスケ的なデザインですよね、

私はこの「バスケらしさ」を大切にしてましたし、それを日本のCager(バスケする人)に知って欲しくて書いていました。

このデザインで言ふと、裾は絞らずストンとして、襟はニット(編み物)ではなくジャケットと共生地で開襟シャツ風のバイロン・カラーで、ラインが襟、袖先、裾周りに入ります。これでバスケらしくなるって訳です。

と言ふことを書いてました!!

 

誌上でのファッションの話はここで一区切りつけます。

 

再開第1号で書いたアメリカのバスケについて少し書きましょう。

私がアメリカ全体のバスケ話の連載コラムを持ったのはVol.2、No.1(1967年3月号)からと書きました。そこではカレッジ全般について書いてました。

例えば仕組みとして、全米を8Districtに分け、その中に6個ほどのConference(地区別リーグみたいなもの)がある。

全米大学チャンピオンを決めるNCAAトーナメントへはDistrictではなく全米を4Regionに分けてその中でConferenceの勝者同士がトーナメント戦でチャンピオンを決める、と書いてます。

半世紀前にしては良く書いたものです(笑)

← 多分日本で現存する最古のバスケ専門マガジン。

沢山勉強させてもらいました。

 

なお当時の伝統大学はデューク、カンザス、ケンタッキー、ミシガン、サンフランシスコ、UCLAで67年はルー・アルシンダーが居るからUCLAが優勝するだろう、と書いてます。←正解です!!

身長のことも書いてます。この年の学生Top200人の内、2mを越す選手が50人程で、セブンフッター(213㎝以上)は6人程と書いてます。
現在なら逆に2mを越さないのが50人程、でしょうね。

アメリカでも身長は年々伸びているのですね。

面白いのは、Conferenceの紹介で「IVYリーグ」を紹介してます(笑)
当時はアイビー・ファッション全盛と言ふことがあり、更に数年前にビル・ブラッドレーが居るプリンストン大がファイナル4で3位になった、と言ふことがあったのでしょうね。こんな弱いカンファレンスを引き合いに出して、、、(^^;

 

それを受けて次号Vol.2No.2ではNBAについてカレッジより3ページも多い7ページにわたって書いてます。何しろNBA人気はカレッジ人気に負けているとは知らなかったものですから(^^;

当時は未だ10チームしかなく、東西2DIVISIONSで下記のように分けられていました。

Eastern

ボストン・セルティックス、NYニッカーボッカーズ(ニックス)、シンシナティ―・ロイヤルズ(現サクラメント)、フィラデルフィア76ers、バルチモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)

Western

LAレイカーズ、サンフランシスコ・ウォリアーズ(現ゴールデン・ステイト)、デトロイト・ピストンズ、シカゴ・ブルズ

そして各Division上位3チームによるトーナメントの勝者どうしてNBAチャンピオンを決めると書かれてます。

昨シーズンはファイナルではセルティックスとレイカーズの対戦となり、3勝3敗で最終戦を迎え95-93の1ゴール差でセルティックスが勝ちチャンピオンになったと書いてます。

当時はシカゴもデトロイトもWesternだったのですね!

なを当時の個人シーズン最高FG%(当時スリーポイントは有りません!)はウィルト・チェンバレンの55.0%で、1ゲーム個人最高得点は同じくチェンバレンの62点と書いてあります、なんで100得点のことを書いてなかったんでしょうね??
まさか私がチェンバレンのことを嫌っていた(笑)から書かなかったのか、まだ調べていなかったのか? 不思議ですね!! (笑)

アメリカのことはその後も連載を続け、その後サンフランシスコ・クロニクル紙(https://www.sfchronicle.com/)の日本特派員になったマイケル・バーガーさんに引き継ぎ、その後は共同通信社の竹市さん、最後は帰国子女の西尾昭彦さんとなりました。他にも日刊スポーツの工藤さんも書いていたことがありましたね。

左の写真 初めて表紙のイラストを描いた時のものです。

 

1973年頃からは産経新聞の記者だった方が編集長になり月刊バスケも創刊され、多くの記者が書いており、NBAを始めとするアメリカの情報も入手しやすくなってきましたね。

そうなれば 私の役目はほぼ終了です!!

初めて書いたNBA話は「BILL RUSSEL」でしたが、 スポーツ界でも初と言えるスポーツ・ファッションの連載がNo.6から始まったと前々回に書きました。

当時はバスケ・ファッションってそれ程確立されてなかったものの、バスケやる人はお洒落でセンス良かったとひます、少なくとも他の運動部よりは。

とは言へ練習時のウェアはたいしたものは着てませんでしたね、ほんの少数派がポロシャツを着てた程度で、殆どは襟と袖先に別色のパイピング(伸縮性の高い生地で縁取りしたもので、生地が4重になり野暮ったい。

パンツも無地のサテン(ツヤのある生地)やユニフォームが古くなったもの。

そしてソックスと言へば、登山用の毛糸のソックスを履いてましたね。←私たちの世代のアルアルです(笑)

ユニフォームにしてもまるで天と地の差がありました。

それでも大学は立教大、日本大、日体大等々は脇にパネル(幅が太いライン)やラインが入り胸のチームロゴ等の2色使いで少しにぎやかさを出してましたが、日本リーグを始めとする実業団チームは地味でしたね。
また当時は現在のようにユニフォームのオーダーシステムは無く、既存の地味なシャツに胸マークをどう入れるかだけのオプションでした。

 

ところがアメリカの本を見ていると、全然イメージが違います。脇・首繰りにはラインが入っているし、脇もパネルやラインが多色で入っています。CONVERSEのイヤーブックには高校でも大学並みのデザインのユニフォームのチームが殆どで、見ていて羨ましかったですね――。

 

そこで、日本バスケのユニフォームやウェアの意識改革をしなければ、と言ふ考えで「Fashon of Five」と言ふコラムを作ったのです。と言ふのは嘘です(笑)

そんな高邁な考え方は無く、ただ単にファッションに関する記事を書いてみたいなー!って感じですよ、まだ二十歳前ですからね(笑)。

 

最初に書いたのはヘアスタイルのことで、次にTシャツ関係←当時はたいしたTシャツがありませんでしたから。

当初はそれほど調査もしてませんで、いい加減なことも書いてましたが(笑)

 

ユニフォームのデザインについて書いたのはVol.2 No.2で、NBAチームのデザインをイラストで描いてみました、今見るとチャチですね――(笑)

デザイン的には当時の日本とは大違いでしたのでこれは可成り反響を呼びました。

 

この辺りからユニフォームのデザインについて真面目に考えてきたと思ひます。

色に関しても、デザインに関してもバラバラだったので意識改革をしようと考えました。

上段右はサンフランシスコ・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)のユニフォームで、胸側は「The CITY」と書いてありますが、当時サンフランシスコに金融の中心地があったことから英国のCITYを真似て付けた、とか聞いた記憶があります。円の中はゴールデンゲイト・ブリッジですが、当時は2本書いてありましたが、現在は片方の1本だけですね。
背中の番号は地元の名物ケーブルカーのシルエットの中に入れてあり、これでNBA最優秀デザイン賞を貰っています。

下段右はシンシナティ―・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス←カンザスシティ・キングス←カンザスシティ・オマハ・キングス) 地味ですがパンツの裾と脇が特徴があり、ルー・アルスィンダーが居たUCLAのオリジナル・デザインです。NBAも含め全米の半数近いチームがこのデザインになったほど流行りました。あのセルティックスもこうなりましたからね!

判り辛いのですが、レイカーズとニックスとロイヤルズのパンツが前開きになっているのです。これは古いタイプです。
当時は、前が開くのと開かないものが混在してました、過渡期だったんですね。
前開きのものはウエストにしっかりとバックルで止めるようになっていました。

ウエスト・ベルト部分のラインは、色違いのテープを縫い付けてあります。手間がかかってました。

 

今日はこの辺りで     to be continued

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