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インターハイや全中ではサカイは出場記念品としてベイビー柄のTシャツ等を販売していましたことは、この読者の皆さんならご存知と思ひます。

我が家にはベイビー柄の商品が未だ多く残ってますが、昨日 片づけモノをしていたら出てきたのがこの袋でです。

生地はやや厚手のナイロンタフタで、円柱状になっていますが、上の口部分は紐が通って絞れるようになっていますが、プラスティックのアジャスターを付けたのは、確かこの辺りだと思ひます。

場所は山梨県の河口湖だったと思ひます。

デザインは「山梨県」と言ふことで「ブドウ」をモチーフにしてますが、ブドウや桃を栽培しているのは、三坂峠を超えた一宮の方で、文化圏がまるで違うらしいですね、今頃 冷汗が出てきました、、、

ベイビーが大きな口を開けているイラストは珍しいですね!!
見えずらいのですが、ブドウのところ、バスケのボールになっているのがあり、良く見ると配列が「Y」字になってます!

昔は細かくやってたな――(笑)

1983年のこの大会は男子で神奈川県横浜市の汲沢中が優勝しています。
ハッキリ言って大会自体はあまり覚えていません(^^;
決勝の会場は町立の体育館だったと思ひます。狭くて直ぐ満員になって、入るのが大変だったような記憶がありますが、確かじゃありません(笑)

三宅学(相工大付高→日体大→日本鋼管→松下電器、現在横浜清風高監督)が居たのかな?
佐古賢一では無かったな図です。
その時のメンバーに現NTTやA-Clubにも居たような?

一方女子は愛知県の守山中が優勝してますが、4回目です。
誰の代だったろうか?
この頃は当時守山中コーチだった井上眞一さんとは何度か話をしている筈です。

 

 

個性的な選手が多いチームと言へば日本鉱業(ニッコウと呼ぶ人も多いですが、日本鋼管もニッコウと読めることから、同じくニッコウと呼ぶ人が居て、紛らわしいので鉱業と呼びます。)に敵うチームは無いでしょう(笑)

真面目風に見える鋼管に対し、不真面目風なのが鉱業でした(笑)

上写真 左児玉さん 右志賀さん

チビダマとも悪玉ともジダマとも呼ばれた児玉敏(170㎝明治大)さんはリードマンでありながら、外からのシュートもドリブルで突っ込んでのシュートも上手い選手でしたね。少し怖い顔をしてることで悪玉さんも呼ばれてましたが、上手い選手でしたね!

上写真 レイアップは児玉さん 左下はエリックさん

チビダマさん以外にも良いガードが揃ってました。

シューターの多岐格(177㎝明治大)さんは優男って感じで、同じくミドル・シュート(死語ですね、いまなら3Pシュートの距離でしょうか)が入った岡山啓三(176㎝立教大)さんは通称お啓ちゃんと呼ばれて居て、この辺りのメンバーは鉱業らしい個性派でしたね。

上写真 多岐さん

その中で真面目派でディフェンスが良くシュートの上手い志賀政司(176㎝明治大)さんが光ってました。エリックさんと呼ばれた中村邦彦(186㎝)さんは明治学院大と言ふバスケ界では無名の大学から入社した大型シューターでしたね。

 

このチームの特徴は、個性派と言ふだけではありません、長身者を2人抱えていたってことです。
今では考えられませんが、当時190㎝も有れば大型選手と呼ばれインサイド(ペイント・エリア内、以下I/Sと略す)で活躍する選手と決まってました。

上写真 小玉さんレイアップ

ところが小玉晃(195㎝東京教育大)さんはこの身長(今で言へば205㎝程の感覚でしょうか?)で動けて走れるフォワードでした。もちろんI/Sでも仕事できます。飄々とした感じの選手でした。ガードに背の低い児玉さんが居てフォワードに背の高い小玉さん、字が逆だろうって受けてましたよね(笑) 漢字の読み方の関係で「しょうだま」とも呼ばれてました。

 

ビッグマンが1人だけなら驚きませんが、もう一人ピュア・センターの角田勝次(196㎝明治大)さんが居ました。長身を生かしたフック・シュートが上手かったですね。

上写真 角田さん得意なフックシュート

この二人がD・Rebを獲って児玉さんがドリブルで速攻に持ち込むのが鉱業のパターンでしたね。

 

そして鉱業の選手達は良く銀座で飲んでいたって話も聞きましたね(笑)

 

第1回日本リーグでは八幡製鉄と同率の5勝2敗でしたが、直接対決で勝っているため3位になりました。

 

因みに日本リーグ後に行はれたオールジャパン(全日本選手権)では4強で行はれた決勝リーグで、住金、鋼管、八幡製鉄に全勝し、優勝しました。

優秀選手に児玉さん、中村さん、角田さんが選ばれました。

 

‘67年11月から始まった日本リーグですが、この年のオールジャパン(全日本選手権大会とか天皇杯、皇后杯とか名称が多くて面倒くさいですね。統一して欲しいものです、せめてメディア内だけでも)の男子では、決勝リーグ(この時代は4ブロックに分けトーナメントを行ひ、その4強でリーグ戦をしてました)に進出したファイナル4(4強)は男子日本鉱業(鉱業)、日本鋼管(鋼管)、日本大学早稲田大学。女子 ニチボー平野日本勧業銀行、日本体育大学、日本レイヨンでした。

住友金属(住金)はブロック決勝で日大に47-54で敗れ、松下電器(松下)に至っては1回戦で鋼管OBに54-55で敗れています。確かこのゲームは見てましたね、気楽に戦えた鋼管OB(特に引退したての若手?)の出来が良すぎた筈です。

と言ふことなので、当時は全日本級については素人状態の私にとって、住金も松下も殆ど知識がない状態でした。学生の大会はそこそこ見てはいましたけどね、、

 

それがいきなり松下が優勝してビックリです!

MVPの戸田正久って誰?(笑)

から始まって、ひょろっとした193㎝の大和久生さんは同志社大出身なので、まるっきり判りませんでした(^^;

そして下野昭年(183㎝中央大)の3人が得点源でした。

大和さんが最長身でしたが、ゴール下だけじゃなくペイント内のシュートが得意だったような記憶があります。

上写真 松下・大和選手 ルーキーでした

引退後は日本実業団連盟(日本実連)で一緒にお仕事して、可愛がってもらった戸田さんは、ペリメーターが得意なシューターだった筈です。

残念ながら戸田さんの写真が見つかりません(涙)

松下は2-3のゾーン・ディフェンスが得意とイラストに書いてありました(笑)

優勝はしたものの、関東人の私にはそれほど興味が湧いてなかったチームでした、ごめんなさいm(__)m

 

6勝1敗で松下と同率ながら直接対戦で松下に負けている鋼管は2位でした。優勝候補#1でした。

若林薫(178㎝東京教育大)さんはクレバーでBBIQが高く冷静なPGでしたね。難局面でもこの人ならどうにかしてくれる、と思へる選手でした。

上写真 若林さんの速攻からのパスです。

良いPGと言ふとパスが上手くて、と言ふ印象ですが、若林さんはスピードもあり、シュートも上手い選手でした。ローマ、東京と2度のオリンピックと世界選手権、そして数多くのアジア選手権やアジア大会に出場して、この年のナショナル・チーム(今で言ふ日本代表)のキャプテンでした!

顔も渋くて、いはゆる「玄人受け」する選手でした。

そして私の憧れの選手でもあり、引退後に鋼管のコーチに就任した時、連載の技術解説をしてもらいましたが、私が担当になり毎回話を聞きに行くのが楽しみでした。

 

得点面のスターと言へば諸山文彦(186㎝日本大)さん、通称「モロさん」です。
初代ミスター・バスケットと言はれた人で、端正な顔立ちと、奇麗なシュートフォームで、幅広いファン層を持ってました。日本バスケ界では超有名な選手でした。

下写真 諸山選手(この大会の写真ではありません)

退職した現在は神奈川県の某病院の理事を務めているとか、今もシニアのちーむでプレーしてるとか聞きます。ただゲームになるとレフリーに文句ばかり言ってると、あまり評判は良くありません(笑)

現役中はクラッチ・シューターではありませんでした、大事な場面で決められなかったことは何度かありました(笑)

しかしミュンヘン・オリンピックの最終予選だったと思ひます。

東京で行はれましたが、決勝戦は韓国との対戦で、代々木第2体育館は両国の応援で凄い熱気の中でシーソーゲームだった筈です。

同点か1点ビハインドで日本最後の攻撃で、モロさんが右ウイングからジャンプ・シュートを撃ちました。その瞬間 私は「ヤバい!」と思はず叫んでしまったのです。

想像通りボールはリングに蹴飛ばされましたが、そこに飛び込んだのはモロさんでした!!
シュートの軌道を見て反射的にリバウンドに行ったのでしょう!

ボールが上手く帰ってきたことも有りモロさんがしっかりと掴んでそのままシュート。

それが決まって日本が勝利してオリンピック出場を決めました!

(もしかしたらゲームが間違っているかもしれません(^^;

ただ一番大事なゲームで決勝点を入れたことは間違いありません!!)

他にはシューターの平山輝武(175㎝日本大)と木村勲(176㎝早稲田大)が居て、渋いフォワードの野添敬四郎(182㎝明治大)さんも地味に活躍してましたね!
今で言ふシューティング・ガードまたはスモール・フォワードに粟野吉洲(182cm東京教育大)さんが居て地味に外から得点してましたね。今は鎌倉市バスケットボール協会の会長をしていて、以前はコーチしていたことも有り、中学の大会には良くお見えになります。

その時は良くお話します、通常は「粟野さん」と呼んでますが、話が弾んで「粟ちゃん」と呼んでしまうことがあります(笑)

 

三井生命

会社が大手町にあり、練習場は柏だったと思ひます。

丸山好子(167㎝)さんのシュート力頼りみたいなところがありましたが、基本はディフェンスのチームでしたね。

主力の浅川乃扶子(163㎝)さんが東京の関東高出身と言ふことも有って仲良くしてもらえました。他の方も大手町勤務なのでさばけた方も多く、チーム全体で良くお話はしてましたね。

興銀同様能力の高い長身者が居なかったので、成績は今一でしたが、ニチボーに一番接戦したのは三井でした。

男女ともに日本リーグ入りしたのは三井生命だけでした!

 

東京芝浦電気(以下東芝)

東芝は川崎駅前周辺に町名の着いた工場が沢山あり、各工場でバスケ・チームを持ってました。男子は東芝小向工場チームが強く、会社を代表するチームでした。

たしか柳町工場だったと思ひますが、女子は柳町工場の道を挟んだところ、今のブリリアタワー川崎の辺りに体育館と合宿所がありました。

主力は横山あさ子(168㎝、世界選手権メンバー))で、外のシュートも上手いし、ドライブするのも早かった記憶があります、同い年だったことも有り話しやすい性格だったことも有り、良く話しては居ました。

そしてもう一人はチビの豊川スエ(156㎝位)。天才シューターと言って良いほどシュートが上手かったですね。

いつのゲームだか、相手はどこだか忘れましたけど、競っていた終了間際にハーフ・ラインの端っこに追い詰められ、自分より大きい選手にWチームされながらもジャンプシュートを決め、同点だか逆転勝利をおさめたと、朧げな記憶があります。

ゲーム後に話を聞いたら、元々目が悪くてリングはハッキリとは見えなかった、と言ってたのを覚えてます(笑)
スエちゃんはその後東芝を引退後 安城学園大へ進み、天才的PGの平塚美佐子とコンボ・ガードを組み‘71年第17回インカレで優勝しています。たしか50過ぎ迄 区民大会に出場してましたよ。

監督は世界選手権時に監督を務めたことのある桜井さんでした。

 

日本レイヨン

京都のチームでしたね、その後「ニチレイ宇治」と変わりました。

エモさんと呼んで居た江守良子(160㎝、世界選手権メンバー)さんはスピードこそなかったけどシュートが上手くバスケIQが高いPGでしたね!
小太りだったことも有り、そのころから田舎の気さくなおばちゃん風で、良く話してくれました!

そこにフォワードの角谷(166㎝、世界選手権メンバー)と門脇(166㎝)が得点してました。選手は会社の方針なのか、有名校や全国大会で目立った選手位は居ませんでしたが、ディフェンスを頑張り、全員が得点できる纏まった良いチームでしたね。

関西だったのでなじみが少なかったのが残念でした!

日本リーグでは5位でしたが、全日本総合選手権では女王ニチボーに2点差の好ゲームで準優勝してます。

コーチは栗山さんでした。

 

 

日本通運

浦和に体育館(合宿所)があり、何度かお邪魔したことがあります。たしか浦和駅の西方に有った別所沼の辺りだと思ひます。
東京オリンピックの会場に埼玉県の熊谷だか大宮がなっていて、そこを繋ぐ為の道路、所謂オリンピック道路が実家の近く練馬区谷原から出来ていたので浦和には簡単に行けたからです。半世紀前ですから畑ばかりなので用地はたっぷりありましたから広い道でしたね!

 

元々は埼玉県は浦和女子高、川越女子高等高校までは強かったのですが、強豪校は進学校でもありそのまま上へは繋がらず実業団チームも無かったため、体育協会が「県内に強いチームが必要」と言ふことで日通に頼んで出来たチームと聞いています。創部した年に国体で8位になった、とどこかで読んだ記憶がります(^^;

チームとしては、強豪高から有名選手をリクルートするわけではなく(強くなかったし、会社もそれ程力を入れてなかったようでした)、そこそこの力でしたね。

記憶は薄いのですが、草間典子(163cm)さん、稲葉康子(163㎝)さん、奥原さん、中山さんあたりが活躍していたと思ひますが、このチームに欠かせないのは、細くて明るいことからオリーブと呼ばれていた前川和子(173㎝)です。

現在では笑われそうですが173㎝と言ふ長身でゴール下を頑張っていました。運動能力も高く走れて動けた程で、その能力を買われ中学卒業でいきなり実業団入りしています。
コーチは石橋 晃さんでした。

部長の田中さんが良い人だったことも覚えてます!

 

三菱電機名古屋(以下三菱)

現在も三菱電機コアラーズhttp://www.mitsubishielectric.co.jp/basket/koalas/index.html として残る唯一のチームです。家電業界で三菱電機と日立は会社として強い、と東芝の関係者が言ってましたが、その通りですね。

このチームは伝統があり、64年の世界選手権大会に単独チームで参加している実績がある。たしか浅野さんと言ふ会社だか工場内での実力者の後ろ盾が居て強さを保っていました。

ただ名古屋のチームの上、この頃はそれほど強くなかったので、接点は少なく、親しくはしてませんでした(^^;

島田(160㎝)中心のチームだったと思ひます。吉沢(160㎝)も名前はおぼえてますけど、、

小川(167㎝)がフォワードで点取り屋さんだったような(^^;

 

◆第1回大会の結果

優 勝:ニチボー 7-0

準優勝:勧業銀行 4-3

3 位:興業銀行 4-3

4 位:三井生命 4-3

5 位:日本レイヨン 4-3

6 位:日本通運 2-5

7 位:三菱電機 2-5

8 位:東芝   1-6

 

◆記者投票 ベスト5

・柳 登美子 (ニチボー)

・新垣 たけ子 (勧銀)

・黄 蘭子 (ニチボー)

・前田 洋子 (ニチボー)

・横山 アサ子 (東芝)

#バスケ日本リーグ
#第1回バスケ日本リーグ女子

#ニチボー平野

 

「女子については次回に」と前回書きましたが、男子ももっと書きたいことがありますが、とりあへず女子について。

 

その前に、前回日本リーグに対し 若干間違った書き方をしたようです。イラストには次のように書いてありました。

「このリーグは第22回全日本実業団選手権大会を兼ねたものであり、日本リーグ男子8チーム、女子8チーム選出は、11月1~3日の間、男子32チーム、女子24チームの参加のもとに予選リーグを行い決定したものです。」原文通り。

 

女子と言へば、やはり尾崎正敏監督率いるニチボー平野ですよね。この時まで国内150連勝ほどしてました、正確な数字は覚えてません(^^;

ニチボーと言へば貝塚の女子バレーを思ひだす人もいるかもしれませんが、バスケは平野ですよ!
1968年まで「国内公式戦171連勝」してますからね!!

その原動力はやはり早稲田大出身の尾崎さんですね。この後女子ナショナルチーム(日本代表チーム)を‘75世界選手権で2位に導いた名匠で、忍者ディフェンスと言ふオールコート・プレスで世界に恐れられた監督です。

そう言へば「マッハ攻撃」と言うスピードある攻撃も武器で、‘76年モントリオール・オリンピックでUSAを破り5位になりましたからね。尾崎さんはゲーム後も良く話をしてくれました。当時にしてはメディア対応の重要性を判っていた監督ですね!

ニチボー平野(以下ニチボー)はセンター柳登美子(178㎝、左写真No.4)さんともう一人のセンターで発展途上の黄蘭子(182㎝)がインサイドでの得点源となり、外からは小さい前田洋子(159㎝、下写真No.6)と坪井(165㎝)のシュートとスピードある攻撃とディフェンスの強さが武器でした。

 

黄は天然が入った可愛い子でインタビューもちゃんと答えていました。一番話をしたのは前田で面白い子(年上だったかな?)でしたね。話が出来るのはその2人位でしたね。

 

 

 

 

さてさてニチボーですが、関西と言ふことと強すぎて近付き辛いと言ふことも有って、それほど仲良しではありませんでしたm(__)m
ニチボーはバレーの貝塚張りの豊富な練習量と強いディフェンスが持ち味で、ダントツの強さでしたが、若い私には一寸近寄りがたチームでした。

ナンでも尾崎さんがバレーの大松さんと張り合っていたって聞いたことはあります。

本来はこのチームに もっと私から話し掛けなくてはいけなかったのでしょうけど!

ただ数年後に女子ナショナルチームの合宿に行ったときに、結構ニチボーの子達と話していて、その後は良いインタビューが出来ていたような気はしますが、、、

 

関東では、日本勧業銀行(以下勧銀)の岡田さんは当時にしては珍しく大学(安城学園女子短大)出身でのためか、愛想が良いと言ふわけではないのですがよく話してくれました。上手いPGでしたね。同じ安城短大卒の175m新垣たけ子(下写真、白ブロックしている選手)さんとも喋りしましたね、当時は珍しい沖縄出身です。


銀行と言ふ性格上、当時は高卒が多い中で、大卒者が多いのも特徴でしたね。この数年がキーポイントだと思ひますが、、、

 

コーチは従野先生は学習院高の先生をしており東京教育大出身と言ふことも有り、良くしてくれました!
先々シーズンには、教え子の中川ひろ子の息子で確か島根に居た横尾くんの応援で中川と一緒に国際プール(?)へ応援に来てくれました!

 

日本興業銀行(以下興銀)はキャプテン下田さんを始め諸岡さんや小高のように気安い東京出身者が多かったですね。安城出身の浅野、太田瀬と言ふ上手い選手が中心でしたが、スタメンには最長身168㎝と長身センターが居ないのが辛かったですね。スタッフに知り合いが居たためか、結構選手達とは仲が良かったですね。

銀行員と言ふ性格なのか、ガッツ剥き出しの選手が少なかったですね。
勧銀同様 大学卒選手が多くなりました、主に安城学園大ですが。

東京オリンピック日本チームのヘッドコーチをされて居た吉井四郎さんがコーチしていて、ディフェンスが良い面白いチームでした。

そう言へば小高ふっこちゃんとはデートしたことがあったっけ!!(笑)

 

今回はここまで

次回は三井生命、東芝、ニチレイ宇治、三菱電機名古屋、日本通運について書きます。

勧銀のコーチ名を間違えていましたので、訂正しました。

日本リーグの話をします。

今の人には日本リーグと言ってもピンとこないでしょうが、年寄りは直ぐ判りますね(笑)
現在のBリーグ+WJBL つまり日本の男女合同トップ・リーグといふことです。

 

私がこのバスケ業界に足を突っ込んだのは月刊専門誌の「Basketball Illustrated」誌の編集の手伝いをしたことから始まったと前々回に書きましたが、それは1966年でした。

この‘66年と言ふのは「日本リーグ」が出来る前年で準備期間でした。そして私が本格的に編集に携わるようになったのが’67年。この日本リーグが始まったのが1967年、つまり私のバスケ人生とスタートが一緒なので、思ひ出深いものがあるんです

 

夏には東京ユニバーシアード大会がバスケの聖地と言はれた国立競技場代々木第二体育館(以下 代々木第二体育館)で行はれ、11月4日その代々木第二体育館で第1回バスケットボール日本リーグが開幕しました。

 

元々は日本バスケットボール協会(以下 日本協会)と日本実業団連盟(以下日本実連)が共催していた日本実業団選手権大会が‘47年から開催(‘57年に「高松宮杯下賜」となる)されていましたが、サッカーが’66年、バレーボールが同じ‘67年に日本リーグと称し、ちょっとした日本リーグ・ブームに遅れまいとリーグ化したわけです。

 

実連と言ふのは、地方実連がありその総まとめが日本実連ですが、日本リーグ出場チームを決めるため‘67年11月1~3日、つまり開幕の前日まで大会を行っていました。

東北、関東、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州の各地方から代表チームが集まり男子は各6チーム8ブロック(計48チーム)に分かれ、女子は各3チーム8ブロック(計24チーム)でリーグ戦を行ひ、各ブロック上位1チームが日本リーグへの参加を決めたようです!!

そのチームは

◆男 子

日本鋼管(→NKK→JFE。通称鋼管)、日本鉱業(現JX金属。通称鉱業)、三井生命(現大樹生命)、大和証券、東京海上(以上関東)

松下電器(現パナソニック)、住友金属(→新日鉄住金→日本製鉄。通称住金) 以上近畿

八幡製鉄(→新日本製鉄→新日鉄住金→日本製鉄) 九州(多分)

♥女 子

ニチボー平野(→ユニチカ山崎→ユニチカ)、日本レイヨン(→ニチレイ宇治→ユニチカ宇治) 以上近畿

日本勧業銀行(→第一勧業銀行→DKB→みずほ銀行)、日本興業銀行(→富士銀行→みずほ銀行)、三井生命、日本通運 東芝 以上関東

三菱電機名古屋 東海

合計16チームで始まりましたが、現在も存続しているのは女子の三菱電機名古屋だけです。

ほか15チームは全て休部(廃部)となってしまいました。

寂しいですね!!
日本リーグ開幕のタイトルを見開き2ページで。このあと8ページに渡って特集してます。
この頃は196㎝で最長身でしたから、日本人は身長が伸びましたね!!

 

イラストも出来たばかりで、尚且つ持ち逃げされた後(笑)なので資金力は無いため、もっぱら東京を中心とする関東リーグ(実業団も学生も)を中心に取材してました。

その上男子は全日本選手権大会では鋼管か鉱業のどちらかが優勝していたので、関東しか眼中にありませんでした。

 

女子は流石に「ニチボー平野」が国内で連勝を続けていたので、尾崎監督率いるニチボーが強い、と言ふことは知ってました。

 

実はこの直前に国体が開催されていて、一般男子(現青年男子)は各県1チームで神奈川県代表で日本鋼管が出場 ←反則です!

と言っても決勝の相手は大阪府、松下電器なので、お互い様(笑)

47-46の1点差で鋼管が優勝しました。

女子はニチボーは出ておらずニチレが日通を下して優勝しました。

因みに高校の部では男子は秋田県能代工業高が女子も秋田県大曲高が優勝してます。当時は学校単位の出場だったようです。

 

さて第一回目の日本リーグ、男子はベテランPG若林を中心に諸山、木村、平山等のスター軍団+地味な野添、粟野・鋼管と、曲者PG児玉がリーダーに見えて実際はしきていた志賀やシューター中村、そして当時は日本最長身(196㎝)小玉、角田コンビ、もう一人シューター岡山さんもいた鉱業。

それと私の憧れだった江川(エガチョン)さんの居る八幡製鉄が中心になると思ってました。

大体住金や松下って知らなかった(^^;

 

女子については次回に

今の人には海保さんと言ってもピンと来ないでしょうが、私の年代、特に小柄なガードにとってはスーパースターでした。

小さいけどスピードあって、大きな選手を抜いてゆくプレーには憧れましたね。

いまならアイザイア・トーマス、昔ならマグジー・ボーグスですか。

海保氏イラスト創刊号

東京都墨田工高(?)、立教大から住友金属でプレーした東京オリンピック・メンバーでした。

現役引退後も住金チームのコーチや部長をされたと思います。

その後暫くしてJリーグ鹿島アントラーズへ出向され社長になり、その後モンテディオ山形へ移られたようです。

海保さんとは日本実業団連盟時代一緒に理事をしたことも有り、日本バスケット改革についてよく話し、可愛がってもらいました。

その後バスケット界から離れましたが、この10年ほどバスケットの会場で度々見ることが有り声を掛けると元気な声で「おーあんどう 元気か!」と言はれ嬉しかったものです。

今回のタスクフォースで取り上げて欲しかった人材でした。

通夜

日時:平成27年4月22日(水)18時00分から
場所:昭和セレモニー シティホール市川
住所:千葉県市川市市川1-12-4
電話:047-704-1000

葬儀

日時:平成27年4月23日(木)12時00分から
場所:通夜と同じ

詳細は下記サイトを参照して下さい。

http://www.montedioyamagata.jp/news/y-2015/n-00004181/

バスケットの日本一を決めるオールジャパン(全日本総合選手権とか天皇杯、皇后杯とも言ひます)、女子は昨日JX-ENEOSがデンソーを振りきって優勝しました。

男子はNBL2位・日立サンロッカーズ東京vsNBL4位・広島ドラゴンフライの対戦。

見どころの一つに竹内ツインズ、公輔(広島)vs譲次(日立)の対決も有りました。

DSC_3918

広島と言ふことで観客の入りが心配せれましたが、このようにギッシリ満員でした、

 

日立はコーチが変わりディフェンス主体のチームが更にディフェンスの強いチームへ。

一方広島は今シーズン出来たばかりで、竹内公輔を中心として元東芝・平尾充庸と大学卒若手と208cmクリント・チャップマンらが居て、元いすゞ自動車・佐古賢一がコーチしているが、個人能力では日立の足元にも及ばないチーム。

しかし強いディフェンスと思い切りの良いシュートとネバリ強さで勝ち進んできた。

 

当然ながら初めての決勝戦の広島も、初優勝が掛かっている日立は共に硬くなり、思うようなシュートが撃てない。広島はTOが多く、日立はオフェンス・リズムが無く少しずつズレている感じが続いた。しかし3分、日立はパス回しからベテラン広瀬が3Pを決め、13-5とリードを広げる。やっとオフェンス・リズムを掴んだ感じだ。

第1Q、日立18-11広島

中々攻撃できない広島で坂田 央がシュートを決める。しかしチームは日立の強いディフェンスにタフショットを強いられ、そのリバウンドやTOからの速攻で日立に得点を許し、ジワジワと点差が開く。

実際、広島のTOからの速攻は卒がなく見事。

前半日立38-23広島

DSC_3926

 

後半立ち上がりからオフェンス・リズムが無く離されかけた時、坂田の3連続シュートとチャップマンのプットバックで42-32と追い上げた残6分、日立が後半最初のCTO。

その後広島はBigManチャップマンが4Fでベンチに下がりパプが出てくると、インサイドのサイズ差が大きく徐々に離されて行き、満原のブザービーターも有り日立65-46広島と差が開き最終Qへ。

その後広島は集中力がなくなってきたためと日立のディフェンスのプレッシャーにタフショットが多くなり、ミスも重なり81-66で日立が大勝し、初優勝となった。

 

負けたとは言へ決勝まで駒を進めた広島は立派。

DSC_3930

 

◆共同記者会見

広島・佐古コーチ

後半勝負どころで日立に走られた。

チェンジング・ディフェンスを仕掛けたが、そこは勝負どころでは無かったので効果なく、後で選手に謝った。

日立はトランジッションとリバウンドが強かった。

日立・オルソン・コーチ

今日は選手達がハードにプレーした。このチームを見るようになって、最初のMTGで黒板に「ディフェンス、ディフェンス、ディフェンス」とディフェンスを強調した。チーム一丸となって勝ってゆきたい。

■日立・竹内 譲次 NBA並に子供を抱いて登場!!

8年掛かった。試合に勝って、勝負にも勝ちたかった。同期の酒井が良いパスを入れてくれた。

今年のチームはリーグ#1のインサイド、そして#1のリバウンドと自負している。ディフェンスをシッカリとやってディフェンス・リバウンドをシッカリ獲る。

マッチアップした公輔(竹内公輔)が乗るとチームも乗るので、絶対にプレーさせないようにした。広島のガード達はウチの木下と広瀬がシッカリと抑えてくれるので、1on1で守ることに集中できた。

チームメイトの広瀬はチームで一番動いている。正しい判断が出来ていると後ろから見ていて判る。コート内外で若い選手にアドバイスしていて、リーダーの素質があると思う。

 

ゲーム後佐古君に話を聞いた。

(個人能力的には劣る選手が多いのに、いかに教えてきたのか?)

余計なことをさせなかった、例えばドリブルでもクロスオーバーとかビハインドバックとかはさせなかった。余計なものを削ぎ落した。

選手の得意なプレーを伸ばそうとした。田中 成也(186cm明治大)だったらシュートを、北川 弘(183cm日体大)はスピードと粘り強いディフェンスと言ふように得意なものをやらせる、北川にPGの役割を任せても出来ないから(笑)

坂田もインサイドでプレーしようとするので、お前の得意なところは中距離のシュートだから、外に出てシュートしろと。

ウチはシュートを撃つなと言ったことがない、逆にシュートしなと怒られる(笑)

 

 

 

 

全国会長会議って、初めて聞く方が多いと思います。

今回の日本バスケットボール協会の危機を受け、「各県協会と連盟や諸団体の会長達が立ち上がりましょう!」と言ふ趣旨で「全国バスケットボール協会 会長会議」を、神奈川県協会・柿沼、埼玉県協会・田島、群馬県協会・蛭間、秋田県協会・永田の4会長が発起人となり立ち上げることになりました。

その第一回会合が12月10日(水)15時から一般社団法人 神奈川県バスケットボール協会事務所で公開会議形式で行なはれました。

ところが集まったのはたったの10人+オブザーバー1人と言ふ少なさ。

これが正に現日本バスケット界を象徴していますね。

一つは平日の昼間と言ふこともありますが、関心の薄さと、面倒なことに巻き込まれたくない、協会に反発できない、と言ふことがあります。

まあ多くの会長は名誉職で、バスケットとはゆかりが無い政治家(その団体に利益をもたらす)が多いのが特徴で、今回は衆議院選挙と重なったため、尚更出席が少なかったようです。

本来は喧々諤々と議論する予定だった会長も多いと思いますが、出席者が少なすぎてパワーにならないだろうと、それ以前の会議のあり方論の会議となり、立ち上げの準備会と位置づけました。

会長会議として「評議委員会を正常に機能させること、応援すること。日本協会には正しい道筋を示す」ことが望ましいとしてます。

今回は公開会議としてTBS、読売新聞、日刊スポーツ、神奈川新聞等メディアの方々も取材・傍聴をしています。

オープンにすることは良いことだと思ひます、特に今回の不祥事を混ていた原因の一つに「協会の理事会、評議委員会等会議」の密室性が挙げられてますからね。

この会議は今後どうなるのか?

協力者を増やすため、今回出席された会長さん方が全国行脚すると、会議後の反省会で言ってました!

下は今朝の掲載記事です。

会長会議1

NBLとbjの合併問題について、今まで揉めにもめていましたが、6月21日(土)の理事会で「公益財団法人日本バスケットボール協会は、株式会社日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)と、2016年シーズンよりbjリーグ・日本バスケットボールリーグ(NBL/NBDL)を統一されたプロリーグを創設するための話し合いをスタートさせることに合意した。」と発表がありました。

日本バスケットボール協会(JBA)とbjリーグ両サイドから夫々発表されましたので、お読み下さい。

 

◆JBA

「統一プロリーグ創設にあたっての話し合いスタート合意について

2014年06月21日

今般、公益財団法人日本バスケットボール協会は、株式会社日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)と、2016年シーズンよりbjリーグ・日本バスケットボールリーグ(NBL/NBDL)を統一されたプロリーグを創設するための話し合いをスタートさせることに合意いたしました。
今回bjリーグとの話し合いにつきましては、一般社団法人 日本トップリーグ連携機構(JTL)副会長の川淵三郎氏のご尽力によります。
本件につきましては、国際バスケットボール連盟(FIBA)からも厳しい勧告がなされ、バスケットボールに携わる多くの皆さまに大変ご心配をおかけしていましたが、両者ともに過去に捉われるのではなく日本のバスケットボール界、スポーツ界の将来のために、前向きかつ公平性、公益性、公正性を確保しながら、参加各チームの意見を踏まえ、具体的な骨子を作り、本年10月末までに関係者間の合意を得るものとします。
(1) 話し合いをスタートさせる前提
① 協会として、bjリーグのこれまでの日本バスケットボール界への貢献についてリスペクトすると同時に、統一されたプロリーグの創設については、当協会が責任を持って実行する。
② 2016年にスタートさせる新しいプロリーグは、bjリーグ及びNBL、NBDLが統一された一つのプロリーグとする。2016年の統一を控え、2015年についても可能であれば交流試合を行うことも検討する。
③ 新リーグは新法人を設立して運営する。
④ 統一リーグ創設の証として、当協会の役員にbjリーグ関係者を新任する(予定)。
⑤ 具体的な内容は、新設する設立準備室「新リーグ設立準備室」において、各リーグおよびチームの意見を
十分に採り入れて検討していく。
(2) 話し合いの進め方について
① リーグ設立に向け、JBA、bjリーグ、NBL(及びNBDL)および有識者(公平性、公益性、公正性を確保するために中立的な立場として)を推進メンバーとする。必要に応じて川淵氏にも参加していただく。
メンバー:JBA:深津会長代行、NBL:丸尾理事長、bjリーグ:河内コミッショナー
有識者:杉山スポーツプロデュ-サー、小寺経営支援アドバイザー
② 「新リーグ設立準備室」設立し、具体案を作成する。
各リーグ、各チームの代表者および、有識者も参加する会議体とする。
③ 可及的速やかに話し合いをスタートさせる。
④ 会議の内容については、出来る限り公開を行う。
2016年の統一プロリーグの発足を契機として、バスケットボールの強化、普及、そしてそれの礎となる事業化をこれまで以上に推進し、日本における「第3のメジャープロスポーツ」となるべく精進していく所存です。ファンの皆様、スポンサー・パートナーの皆様、全国のバスケットボール関係者の皆様、選手・チーム関係者の皆様、日本のスポーツ関係者の皆様、報道関係者の皆様、など全てのステークホルダーの皆様のご支援、ご鞭撻を今後とも宜しくお願い申し上げます。
公益財団法人 日本バスケットボール協会 会長 深津 泰彦 」

 

◆bjリーグ

統一プロリーグ設立に向けての話し合いスタートに合意

bjリーグは、公益財団法人日本バスケットボール協会による発表の通り、2016年シーズンからのbjリーグ、NBL(及びNBDL)が統一されたプロリーグ創設を目指し、公益財団法人日本バスケットボール協会、NBLとの話し合いをスタートすることに合意いたしました。bjリーグでは、話し合いに向けての条件として、
1. 「Pリーグならびにリーグ構造検討プロジェクト答申」の撤回
2. bjリーグをNBLと対等に取り扱って頂くこと
3. 会議はできる限り公開すること
と、しておりましたが、公益財団法人日本バスケットボール協会との協議の結果、話し合いに出席する条件は整ったと判断し、合意いたしました。
今後もブースターの皆様、パートナーの皆様、株主の皆様、選手・チーム関係者の皆様などのご意見に耳を傾けながら、議論を進めてまいる所存です。引き続き、ご理解、ご支援のほどよろしくお願いいたします。

★統一プロリーグ創設にあたっての話し合いスタート合意について(JBA)
★公益財団法人日本バスケットボール協会 平成26・27年度役員体制について(JBA)
【河内敏光コミッショナーのコメント】
統一されたプロリーグ創設に向け、その第一歩として話し合いがスタートすることをうれしく思います。また、個人としても、公益財団法人日本バスケットボール協会の理事に就任することとなり、2020年の東京オリンピックを見据えたこの重要な時期に、日本バスケット界の行く末を左右する重責を与えられたことに、光栄に思うと同時に、より一層、身の引き締まる思いです。
2005年よりスタートし、2014-2015シーズンで10シーズン目を迎えるプロリーグとして、これまでの経験を活かし、日本バスケットボール界へ貢献出来るよう精進してまいります。

 

2013年12月より現在までの、bjリーグから公益財団法人日本バスケットボール協会への公式文書は以下の通りです。
◆2014年6月13日
広島県バスケットボール協会の通達に係る要望
◆2014年6月13日
Pリーグへ向けた会議への参加の条件について(回答)
◆2014年6月2日、6月4日 文書
◆2013年12月~5月 文書

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