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昨日は3月11日、日本が忘れることのできない日です。
私はこの日には深い思いが二つあります。
第一は、私が生まれたところが石巻市の海の直ぐそば、と言ふことで一番大きな被害を受けたところで有名になったところです。
とは言へ、そこは母の実家の関係する家で、戦争による疎開先と言ふことで、生後2か月ほどで東京へ戻って来たため、記憶は一切ありません。
なので今回の東日本大震災は特別な思いがあります。
第二は、実は今回の東日本大震災にはコンプレックスを抱いています。と言ふのは3月11日、私は日本居らず、大震災を肌で感じていないからです。
皆さんが帰宅できなかったとか、携帯が繋がらなかったとか、ご苦労されていたとき、私はニューヨークで大学トーナメントを見に行っていました。
直後に日本から何名かの方からメールを貰い、地震があったことを知りましたが、実感として湧いてこないし、ホテルの同室のトミーが彼女からメールや電話が来ても、皆さんが感じていたような大変なことが起こったとは、それほど感じてませんでしたね。
成田に帰ってきて、電車が動かず、大行列が出来ているのを見てやっと実感しましたが、私の場合は藤沢までのバスが出ていて、大した苦労もなく自宅へ戻れました。
だから被災者の方には申し訳ない気持ちで一杯で、それがコンプレクスになっているのです。
それが「PRAY FOR JAPAN PLAY FOR JAPAN」のTシャツを作る切っ掛けとなった訳です。
その時のお金は私の寄付分も含め20万円となりましたが、いまだに寄付先が見当たりません。
一時神奈川新聞へと思っていたのですが、担当者とうまく話が繋がっていなくて、近日中にはどうにかしたいと思ってます。
今回横浜ビー・コルセアーズでは、これは横浜市からとbjリーグからの要請もありましたが、9日10日の京都ハンナリーズ戦を「復興支援イベント」と位置付けて行いました。
選手は左肩口に黒いリボンを縫い付け、役員はジャケット左袖に黒のリボンを付けました。
ゲーム前には黙祷と、前仙台89ナーズのコーチだった京都の浜口コーチとビーコルのコーチ・ゲーリーが挨拶を行いました。
それとは別に会場時と終了時に選手パフォーマンスチームによる募金活動も行いました。
11日はブレイカーズ・カップを行ってましたが、2時43分に近い3位決定戦前に父母等を含めた全員で黙祷を行いました。
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