2008年4月22日bjリーグ・プレーオフ有明コロシアムに1枚のバナー(横断幕)が掲げられてました。「bjリーグを神奈川へ!」と書いてあります。とても興味が湧き、バナーを掲げた白澤卓と言ふ伊勢原でスクールを主催している若者に会いに行きました。

彼と話した後、私も微力ながらお手伝いしてきましたが、スポンサー探しや体育館の調査をしたり、bjリーグのアドバイスを受け、県内に東京アパッチのゲームを誘致したり、クリニックを行う等の活動をしてましたが、若手と年寄りで温度差が有ったり、厄介な人が介入してきたり、エージェントが今一つ理解してなかったりで頓挫していました。

そして一番の弱点は、この組織は神奈川県協会との結びつきが弱いと言ふことでした。

当時はJABBA(日本バスケ協会、現在の表記はJBA)とbjリーグは仲が悪かったため、県協会との結び付きが必要でした。

と言ふことで思ったほど進展してなく、bjにエクスパンションの申請(新規申込み)をする前の段階でストップしたまま、内部分裂してウヤムヤになってしまいました。

 

そこに新たな展開が出てきました。

県内に、白澤君の組織と平行してbjリーグと話を進めていた別組織がありました。

その組織は廣田和生さんが代表取締役を勤める「横浜スポーツエンタテイメント株式会社」です。

廣田さんは神奈川県協会の役員でもあるので、対日本協会に関しては問題ありません。元々関東学院大の監督でもあります。
その上、派遣会社のオーナー社長と言ふことで、経営に関するプロなので、最適な人材でした。

 

何度かお話はしたこともあり、以前からbj参入に興味あることも知っていて、白澤君の組織との融合等についてお話したことも有ります。

 

「私は神奈川県、特に横浜にプロチームを作ることが目的なので、bjとかJBLにはこだわっていない。

現在幾つかの組織が県内でチームを作ろうとしているが、極端な話、団体(組織)はドコでも応援したい。その上で、出来ればお互いがいがみ合うことなく、一つになって神奈川県としてチームが出来るのが希望。

それに協力できますか?」と廣田さんと白澤君に話しており、両名とも賛同し、協力して一緒にやる意思がある、と言ってくれました。

と言ふことで両者が協力してチームを作ることになりました。

そして運営面は廣田さん、アカデミー(スクール)を白澤君が担当することになりました。

 

それまで何度か「神奈川県にプロバスケットチームを」と言う動きがあって、打診やら相談を受けたことがありますが、その後音沙汰ありません。プロチームを作るということは難しいのですね、単なるバスケへの情熱だけじゃ出来ないのです。

 

 

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