JBLパナソニックが終わってしまいましたね。

24日(日)JBL2012-2013レギュラーシーズン終了と同時に、パナソニック・トライアンズも終わってしまいました。

 

思い起こせばJBLの前身・日本リーグは1967年11月4日に代々木第2体育館で開幕し、女子はニチボー平野、男子は松下電器が初代王者となって幕を閉じましたが、その松下電器がその後社名変更でパナソニックとなり、今回チームとしての幕を下ろしました。

 

当時から松下は大阪にあり、関東の我々にはなじみが薄かったのですが、日本リーグ優勝で一躍全国デビューを果たしました.

メンバーを見ると関西出身者が多く、なじみが無かったですね、ガードで第一回目のMVPになった戸田さんが東京教育大だったくらいかな。

金井さんが中大出身なんだけど、当時の中大は2部で、それほど有名じゃなかった。

第一回日本リーグ成績表

見辛いですが、第一回大会の成績表です。八幡製鉄は新日鉄のことです。

松下2大和

松下電器期待の長身新人、大和です。

 

松下は革新的でしたね。

初めてのアメリカ人を採用したのは松下で、ハワイ大出身のジェローム・フリーマン、通称フックです。

177㎝と低かったけど、滅茶苦茶早くドリブルが上手かった!

右肩にボールを担ぐようなフォームのジャンパーも新鮮だった。

日本人に大きな影響を与えた選手でした。

松下フック

ユニフォームも常に斬新だった、残念ながら唯一に近い「私がデザインしてないチーム」なんです(涙)

松下7

フックは私もインタビューしたことが有りました。

黒豹1

フックの後はケンタッキー大からラリー・ジョンソンも来ました。

監督の清水くんは日体大出身で、あの身長でスタメンだった(?)

フリーマンみたいに肩で担ぐようなシュートフォームだった。向こうっ気が強いのは変わらないねー(笑)

一時は松下を辞め日立戸塚の女子チームのコーチになった、もしかすると富士通の名木はその時教わっていたかもしれない。

 

松下は最初にニックネームを付けたチームでもあるね。

スーパー・カンガルーズ、確か初めは「スーパー」は付いていなかったような気がするけど、定かじゃない(汗)

ユニフォームの胸にMATSUSHITAじゃなくニックネームだけにしたのも松下だった。

そんなユニークなのに、無くなってしまうなんて。

1月のオールジャパンの優勝は「会社を見返してやる!」と言ふ気持ちが強かったと思う。

優勝するようなチームを潰すのか!!!

ってね!

<写真類は全て月刊バスケットボール・イラストレイテッド誌から拝借しました>

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貴重な写真も見れて感激です!

僕が物心付いた時は

松下電器
日本鋼管
住友金属
熊谷組
日本鋼業
三菱電機

だったような気がします。

今はほとんど無いですね・・・寂しい

あんたかさんが、唯一デザインしてなかった話は、ケイタズバーのカウンターで聞きました。しかし、上記にあるとおり松下は何でも最初に取り組んだチームで、誰もが憧れのチームでした。
このような形で記事にしていただき本当にありがとうございます。

月バスの創刊号の表紙はあの沼田さんでしたよね、確か。。。

ヒゴタツさんへ
そうですね現在残っているのは三菱電機だけですね。当時の大会社ばかりだった筈なのに、業績悪化で休部(廃部)や合併されたり。
現在活躍しているトヨタ自動車、日立、東芝は2部リーグでしたので、信じられませんね。

鈴木慶太さんへ
ケイタズバーへ寄ったこと覚えてますよ、その時にそんな話をしたんでしたっけ?
関西なのに全国区でしたよねー。
いけない 遊津さんのことを書くのを忘れてた!

足軽君へ
それは知らなかった、他人の本だからね(笑)

パナソニックに関する懐かしい話を書いていただき感動しています。
戸田氏、赤松氏とは東京教育大学で同期です。立教を出た塙氏も同期で大活躍でした。
第1回日本リーグ優勝には感動しました。私が指導している関西大学もよく練習試合をしていただき鍛えられました。もともと松下電器のバスケットボールは関西大学OBの猿荻氏、北野氏、中井氏、大東氏たちで創設されたので兄弟のような存在です。今では多くのアメリカ人選手が活躍していますが、1971年大商大の島田氏、亡くなった武庫川女子大の佐々木氏とともにハワイレインボークラシックを観戦に行った時が縁でジェロームフリーマンを松下へ呼ぶきっかけななったのです。まさしく外国人選手の幕開けです。
パナソニックが活動中止の報に接し心臓が止まる思いでした。幸い和歌山でチームが残ると聞き楽しみにしています。
日本のバスケットボール発祥は京都、大阪、神戸のYMCAにおいてF・Hブラウンによって指導されただけに、今後さらに関西のバスケットボールが頑張ってくれることを期待したいものです。

笈田先生へ
松下電器バスケット部の創立にことは知りませんでした。島田サブさんは71年からハワイへ行っていたのですね。
由緒ある関西バスケット、昔から関東とは違い、まとまりがあって、一種独特のムードがありましたね。

代々木第二に流れる女性のアナウンス
「松下電器産業12番ジョンソン」なんて、
敢えて「産業」までいれたことをよく覚えています。
その松下電器産業がパナソニックに名前が変わる
ことだけでも小生にとってはインパクトがあったのに、
バスケット部がなくなるなんて、とても寂しいです。
今年の天皇杯では、ユニに「スーパーカンガルーズ」の
マークまでいれているのを見て、NKKシーホークスファンの
小生はNHKの放送で熱くなりました。
あっ、ただ、その時代はただの「エヌケー」でしたかね!?
北原、故山本浩二、桑田、加藤、篠辺、斉藤、大塚、武田
…そんな人たちの時代に「松下電器産業」は憎き相手でした。
ラリージョンソンのドリブルワーク、パスさばき、
故三上のミドルシュート(3ポイントはまだ無かっですね)、
いつも文句を言うイメージの斉藤。NKに入って欲しかった
中大の田中も取られましたね(でもあんまりゲームに
出たイメージはありませんね)、日体のエースだった、
野口もスタートになれないなんて、日本リーグはすごいなぁと
思った中学生の小生でした(笑)。
…あっ、自称先生の弟子の小生だからかもしれませんが、
確かに松下のユニのデザインは奇抜でしたが、
お尻のネームはカッコ良くは見えなかったし、
全般的に好きなデザインではありませんでした。
いつもデサントだったと記憶しています
(そもそもNK好きが敵チームのユニを好きにはならないですな(笑))
自分で書いていて、とても懐かしいなぁと思いますが、
同時に「松下電器産業」のチームが無くなるのは
残念で仕方ありません。
和歌山にチームなんてこともあるみたいですが、
是非、パナソニックという会社が完全復活して、
サッカーのキリンのように
「日本代表チーム」のオフィシャルスポンサーに
なってくれるくらいのことをバスケット界にして
欲しいと思う、ただのオジサンでした。

…あっ、これ書いていて思い出しましたが、
前述の篠辺さんのお兄さん、最近新聞に
チラホラ出ているのご存じでした!?

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