こう書いても、コアなNBAファン以外は判らない人がほとんどでしょう。
1960年代と70年代のNBAの強力なライバルとして知られていた二人です。
バスケットおよびNBAでライバルと言ふとマジック・ジョンソンvsラリー・バードでしょうか?
でもラッセルvsチェンバレンは、まるで同じセンターと言ふポジションなうえ「オフェンスのチェンバレンvsディフェンスのラッセル」と好対照だったこともあり、この二人のライバルの出現がその時代のNBAを盛り上げました。
で、私はラッセルが好きだったんです。
何回か書きましたけど、私がNBAのことを知り始めた66年ころ(つまり日本がアメリカのバスケットについて知り始めたころですが)活躍していたのがこの二人で、特にラッセルのいたボストン・セルティックスがいはゆる「王朝」時代だったので、アメリカの専門誌や雑誌を見るとアメリカのバスケット=NBA=セルティックス、と言ふ構図でした。
つまり、アメリカの情報を得ることはセルティックスの情報を得ることであり、その主役のラッセルの情報は自然に私の中に入ってきた訳です。
その上セルティックスはアンセルフィッシュな選手の集まりのチームで、ディフェンスが強いと言ふことが私の心に響き、ラッセルの心理戦に興味をひかれたこともあってラッセルのファンになってしまったんです。
ラッセルvsチェンバレンと言ふとやはり「ディフェンスvsオフェンス」ですね、つまり「自己中心vsアンセルフィッシュ」となります。
チェンバレン・ファンの人はこれから先は読まないで下さい(笑)
チェンバレンがすごい才能の持ち主だと思ますよ。
リバウンドだってラッセルより若干多く取ってるし、アシストもラッセルを上回っているし、勿論得点は倍以上稼いでいます。
個人記録の数はラッセルが24こなのに対しチェンバレンは3倍以上の79個!!
個人記録でラッセルが勝っているとしたらFTパーセンテージかな、それだってラッセル56.1%vs51.1%だから、50歩100歩だよね(笑)
でも決定的に違うのはリングの数。
チェンバレンが66-67シクサーズ時代と71-72レイカーズ時代の2個に対して、ラッセルは11個。全部の指にはめてもまだ余る(笑)
チェンバレンは昔、セルティックスには多くのホール・オブ・フェイマー(バスケットボールの殿堂入りした選手)が居ることから「うまい選手を集めれば勝てるさ」とセルティックスのことを皮肉っているが、実はチェンバレンの周りには同じようにホール・オブ・フェイマーは沢山いたので、それはお門違では?!
ちなみにチェンバレンは異性交際が派手で、生涯ベッドを共にした女性は2万人を下らない、と豪語してたそうです。
ちなみにチェンバレンは引退後バレーボールもやっていて、そのスパイクは天井から打ち込まれたようだ、と相手選手が言っていたとか。
ちなみにチェンバレンは213㎝、ラッセルは208㎝でした。
ちなみにラッセルはサウスポーです。
ちなみにラッセルは「大学、オリンピック、NBA」の全てのカテゴリーで優勝してます、それも13か月の間に、です。
ちなみに65年にチェンバレンのサラリーが10万ドルと発表された後、セルティックスはラッセルと10万1ドルで契約する、発表しました。チームとしてもチェンバレンに対抗心を燃やしていたのでしょう(笑)
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