NBAと言ふか、バスケットと言へば私にとってはボストン・セルティックスです。現在はTDガーデンとなってますが、初期のホームコート、ボストン ガーデンのお話しです。
ボストン ガーデンは1928年に建てられ‘95年春に幕を閉じました。実に67年間も使用されてました。
地元ではザ・ガーデンと呼ばれ、NYの初代マジソンスクエアー・ガーデンをモデルにして建てたと言はれます。
他のチームからは「特別なところ」とか「魔物が棲む」とか悪口を叩かれました。でもマジック・ジョンソンは「好きな建物」と言ってます。
ボストン・ガーデン=パケットフロアと云われるくらいパケットフロアが有名でしたが、このパケット・フロアが曲者でしたね。
と言ふのも、コートが作られたのはセルティックスがNBAに加盟した時です。
1946年と言ふことは、第二次世界大戦直後のため、アメリカですら物資が不足してた時代です。そこで短い板を組み合わせて作ったのがパケット・フロアだったわけです。
セルティックス第一期王朝時代、ビル・ラッセルがいた頃、20年ほど経過していて、既に床はガタが来てまして、ボールが弾まない箇所がありました。
セルティックスの選手達はその場所を知っていて、ディフェンスの時、ドリブルする選手をそこへ誘導するようにして、ドリブル・ミスを誘っていた、と言はれてました。
本当かどうかは判りませんが、ガードへの強いプレッシャーを得意としていた当時のセルティックスなので、十分にそれは考えられます[笑]
流石アメリカだと思うのは、フロアとフロアを繋ぐボルトの穴がデカイこと。よくあの大きさでバッシュが引っかからないなと感心しました[笑]
また古くからあるため、エアコンが無く‘85年のレイカーズとのファイナル、第何戦だったか、30度を越す暑さの中で行なわれたこともあります。
其のとき、レイカーズのロッカールームは蒸しかえっていたのに対し、セルティックスのロッカールームには扇風機が置いてあったとか[笑]
コレじゃ嫌われるよね[爆笑]
?場所はボストン市街と大学街ケンブリッジ地区を分けるチャールズ川のほとり、地下鉄グリーン・ラインのノースステーションの上にあります。そばで見ると普通のビルとまるっきり区別がつきません。初めて行ったときはタクシーだったので、場所の感覚は無いのですが、帰りは地下鉄の高架下(意味判りますか、隣を平行して走るオレンジラインは、この辺りは地上に出てるんです。)からタクシーに乗った記憶が有るんです。
今Googleの地図で場所を調べてたけど、判らない(汗)
相当変わっている。ただレッド・アワバック・ウェーと言ふ道があるので、その南側に在ったと推測できます。
?1Fにはセルティックスとブルインズ(NHL)のショップとなっていて、ゲームが無い時も開店してます。グリーンのサテンのセルティックスのジャンパーを購入したのを覚えてます。
広くないスロープを登って行くけど、ブルズ昔のシカゴ・ステーディアムと感じが似てます。
場内は、天井は薄暗くてハッキリしないけど、セルティックスのチャンピオンシップバナー(優勝旗)が16枚下がっているのは壮観だったなー。ホッケーのブルーインズのバナーも多かったけど。
初めて行った時は、まだリングの支柱が2本で、その間から写真をとった事を覚えてます。
そのゲームはホークス戦で、ナントあのピート・メラビッチ(最後にセルティックスに加入)がグレーのダボダボモのソックスにケッズのバッシュを履いているにを見て、雑誌に載っている通りだ、と少し興奮したけど、シュート撃ちすぎで、それほど凄い選手と言ふイメージは無かったです[笑]
ちなみにゲーム前にロッカールームへ案内され、チームのカメラマンを紹介してくれて、彼の後について行きなさいと言はれたのは覚えていたけど、ロッカールームのことはうつろにしか覚えてないんです。だけどカーぺットがグリーンだったのはだけは印象的で覚えてました。
ラッセルは引退した後でしたが、私はラッセルがガーデンに来ているものと思っていたんで[笑]
彼には会えなくて残念でしたが、全選手と握手できたのが幸せでした。
ガーデンのNBA最終ゲームは’95年4月25日セルティックス対ニックスというNBA創設時から所属しているチーム通しの一戦でした
現在は直ぐ向かいにフリート・センター(その後TDバンクノース・ガーデン)が建ってセルティックスのホームコートはそちらに移動しましたが、床はガーデンで使用していたパケット・フロアをそのまま使っていました。このあたりは伝統を重んじるボストンならでは、と言ふ感じですね。
2,3日前、偶々2007-2008のCelticsの優勝時動画をYouTubeで見ていました。
優勝インタビューの時、インタビュワーがドックリバースに、「… New Boston Garden …」と言う言葉を使って質問していました。
<私の解釈>
・ホームコートを所有する建造物名 - TD Banknorth Garden
・ホームコートの通称 - The Garden, New Boston Garden他
・NBA登録上のホームコート名 - TD Banknorth Garden
優勝した試合が終わった時、パケットフロアの端っこの方を歩いてみたら、完全に今時なフロアでした(笑)。
第一印象は、極めて衝撃吸収性が悪そう(直ぐ下のコンクリートの硬さを感じる)でした。
パケットフロアの設備自体に問題を感じなかったので、NBA標準だろうと、解釈しました。
McHaleさんへ
偶然でしたね。
昔からのファンにとって、そう言ふ人が多い、やはりガーデンなんですよね。特にTD Banknorthはネーミングライツですから、ファンは関係ないですからね[笑]
でも以前のフリート・センターからするとガーデンを復活させたのはオールドパワーのお陰じゃないでしょうか?
パケットフロアを歩けたなんて幸せですね。
学生時代、あんどう先生にいろいろいと
教えていただき、一人でボストンガーデンで、
ジャバーの引退セレモニーを見た記憶が
あります。
自分のデザインしたスタジャン(懐かしい)を
来てショップへ行ったら、ショップの兄ちゃんに
「それカッコいいな、売ってくれ」としつこく
言われていい気分になってかえってきました。
ただ、私は英語喋れるわけでないので、
そういわれた気分になっていただけかも
しれませんが、二十年経った今もそう信じています(笑)。
やはりこういう話しが読めるのがあんたかブログの大好きなところです!
僕は映像でしか見た事無いですけど、昔のハイライトでモノレールか電車のなかからガーデンをとる映像がおおいですよね。
レッド・アワバック・ウェー、Googleの地図で、確認できました。
TD Banknorth Gardenの南西を走っている通りです。
Googleの地図をそのまま読むと、Staniford St.とコーズウェイ・ストリート(TD Banknorth Gardenの南東を走っている)がぶつかる場所から、北西の方に走っているラインが、レッドアワバック・ウェー(Google地図では、レッド・オーアーバック・ウェイと記載)です。
今にして思うと、レッド・アワバック・ウェーも歩いておけば良かったと、後悔してます。
Staniford St.とコーズウェイ・ストリートは、TD Banknorth Gardenに通じる道と言う事もあって、CELTICS PLAYOFFS 2008の宣伝フラッグが、沢山ある通りでした。だから、大喜びして歩きながら写真撮ってました。
併せて、レッド・アワバック・ウェーも歩いておけば、、、
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