実は「その1」を掲載してから3ヶ月も経ってしまったんです。9月15日のBlogの続きです(汗)
その1には、会場に着いたものの、チケットが行方不明になっていて、入場するのに苦労した、と言ふところまでです。
初めてのFinal Four、会場のセントルイスのジ・アリーナ。その1で書きましたが、今は壊されたようで、何所に有ったのか判りません。
中に入って驚いたのは、広かったことです。当時日本で大きな体育館と言へば武道館か日大講堂(旧国技館)くらいですが、そんなものじゃなかったと覚えてます。何しろエンドラインから逆サイドを見たら向こうの壁が淡くぼんやりとしか見れなかったんです。尤も原因はタバコの煙が蔓延してたためですが〔笑〕
客席に行って気がついたのですが、逆サイド側の観客席が大きく2色に分かれてるんです。
真ん中から左がオレンジ色で、右が水色なんです。
別にアリーナの椅子や床が色分けされてるわけではなく、観客(応援団)の着てる服で色分けされた、そう言ふ感じです。学生はそれほど着てるわけじゃなく、大人が、それも年配者が多い中で、夫々の応援する学校のチーム・カラー(スクール・カラー)の服を着て来るんです。
これは其の翌々年のファイナル4でも顕著で、ホテルで直ぐに何所のチームの応援団か判りました。水色の服だったらUCLA、ブルーだったらケンタッキー大と。
チケットの話に戻ります。写真では大きく写ってますが、10,5×5,7cmで名刺より1.5cm細長い程度です。
この大きさは当時としては大きい部類に入ります。
この写真では少し濃い色になってますが、実際は薄めのゴールドって感じです。
年代を見ると73年ですよ、古いなー、今から36年以上も前だ[笑]
この時はプロビデンス大、インディアナ大、メンフィス・ステート大、UCLAがファイナル4で、UCLAがメンフィス・ステートを87-66で下してNCAAトーナメント36連勝目で、尚且つ9回目の優勝でした。
UCLAはチームとして75連勝目です。たしかその後88連勝くらいまで連勝記録は伸ばしたんじゃなかったかな???
そのUCLAをコーチしているのは名将として名高いジョン・ウドゥン氏です。彼のついては ここを読んで下さい。 http://www.coachtodo.com/blog/?p=219
メンバーはビル・ウォルトン(レイカーズのルークの父親)、キース・ウィルクス(後に改宗に伴いジャマール・ウ
ィルクス)、ラリー・ファーマー等です。
ファイナルではウォルトンがFG22本中21本を決めると言ふ素晴らしいパーフォーマンスを見せてくれました。確かトーナメント記録になった筈です。44得点13リバウンドです。
210cmながらBKIQが高くクレバーで、クイックネスがあって速攻にも走る身体能力も持って、スマートで、ジャンパーが上手かったですね。
両肘をキュッと絞って、頭の上から素早く打つジャンプシュートのフォームは記憶に残ってます。
リバウンドを取った後、身体をひねって、着地前にPGへアウトレット・パスを出したプレーも今だに脳裡に焼きついています。
勿論ウォルトンのファンになってしまいました〔笑〕
残念ながら他のUCLAの選手のプレーの記憶はありません〔爆笑〕
他のチームで目立った選手はメンフィスのラリー・フィンチとラリー・キノン、プロビデンスのステコンや何人か居ましたが、最高だったのはプロビデンスのPGアーニー・ディックレゴリオです。そのときの場内アナウンスでは「ディッゴリオ」としか聞こえませんでしたけど。
チビでしたがシュートが好きで、何処からでも打つし、それ以上にパスが素晴らしかった。
当時はまだ珍しかったビハインド・ザ・バック・パス(身体の後ろ側を通し逆サイドへパスすること)どころか、一度ボールを背中に回し、ビハインド・ザ・バックと見せかけて、元に戻してそのままプッシュパスするとか。J-Willやロンドも得意ですよね。
何しろバスケットが巧いし良く知っている。
NBAに入ったけど、ディフェンスしなくて、ディックレゴリオの頭文字をとって「アーニー・ノーD」と呼ばれてました〔笑〕
最後は地元セルティックスに来たのじゃなかったかな?
どこか探せばモノクロ写真が出てくるのじゃないかと思いますが、、、、、、
間違ってたらスイマセン
Ernest (Ernie) DiGregorio
http://hoopedia.nba.com/index.php?title=Ernie_DiGregorio
kさんへ
そうですよ、この人です。
NBAドラフト全体3位だったんだ。始めはバッファロー・ブレーブス(現クリッパーズ)に居たんだよね。
[…] このBlogでも書いています。ファイナル4チケット その2 […]
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