今年も来週末に行はれますが、華やかなNBAのイベントの中でも最も華やかなのは、ナント言ってもオールスターゲームでしょう。
何度も行きましたが、町をあげてのお祭り騒ぎで、スケールが違います。
どこへ行ってもNBA AllStarのバナーが垂れ下がり、テレビも新聞は連日大きく取り上げます。
最近はあまり言ってませんが一時「NBA ALL STAR WEEKEND」と言ってました。水曜日頃から小学・中学生対象のイベントが始まり、リジェンド・オールスターやスラムダンク・コンテスト、3Pコンテスト等が㈯土曜日に行はれ、最高に盛り上がって日曜日のAll Staer Game となります。だからウイークエンドなんです。
もっとも我々日本人には土曜日までで十分なほど盛り上がていて、本番の日曜日は未だ有るのって感じですが(笑)
初めてアメリカへバスケットを取材にいったのが1973年27歳の時で、その後毎年取材のために渡米してました。オールスターゲームには何故だかそれほど興味が無く行ってませんでしたが、1985年に当時デザイナー契約していたアシックスの広告関係で渡米した時に初めてオールスターゲームを観戦しました。
この時はNBAのスポンサーの一つだったアシックスがチケットを手配してくれたインディアナポリス大会で、普通の観戦でした。
オールスターゲームは日本でも「実業団vs学生対抗」を行っていましたが、本場NBAのそれは、日本に比べたら随分と派手でした。ただ今のモノと比べると質素ですけどねー(笑)
アリーナの天井から当時流行していたバルーンのデコレーションが有ったのを覚えてます。
歴史的に言ふとこのオールスターゲームはマイケル・ジョーダン初出場で、アイゼイア・トーマスと因縁のゲームだったと後で知りましたが、当時はそんなこと判りませんでした(汗)
土曜日にSlam Dunkコンテストをやったらしいのですが、見れませんでしたが、Legends Classicと呼ばれたOBのゲームは見れましたよ!
憧れの選手の一人、ボブ・クージーを生で見れたことを覚えています。彼は体形を維持してましたが、他の選手は腹が出てて、身体が頭について行かないって感じで、場内は爆笑が多かったです。
↑プログラムの表紙です
今回プログラムを開いて驚いたのですが、EASTの選手紹介のトップがマイケル・レイ・リチャードソンだったことです。彼はSugar(砂糖)とかSugar Rayと呼ばれた天才肌のPGでしたが、その後薬に手を出してNBAから追放されてしまった選手です。
ところが私が2006年に開催したトライアウトにアドバイザー兼選考委員として来日してくれた選手だったのです。
真ん中白いパンツがシュガー・レイ
このゲームで一番記憶に残っているプレーはマジック・ジョンソンからラルフ・サンプソンへのアリーウープ・パスです。マジックは223㎝で個人能力が高いサンプソンの能力を引き出そうと、良いパスを出してましたね。オールスターでは上手いPGは往々にして自分の得点ではなくアシストの数を自慢するようなところが有ったんです。
速攻の時に先頭をドリブルしているマジックは、自分がシュートせず後ろから走ってきたサンプソンへボードの上あたり目がけてパスして、それをサンプソンが叩き込んだ、と思いますが30年前なので記憶はあやふやです(笑)
出場選手は下の写真のロースターをご覧下さい。Big Nameばかりです、当然ですね(笑)
因みにジャバ―は14回目の出場となってます。
このあと、オールスターは暫くお休みして、二回目は1992年のオーランド大会になりますが、それは次回にでも。
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