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imageNBAとFIBA(国際バスケットボール連盟)が、バスケットボールを世界中に広めるためと地域貢献活動を目的に行う『バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズアジア2012 ~国境なきバスケットボール~』 が初めて日本で開催されることになりました。

 

バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ(BWB)は2001年の第1回開催以来、今年で11年目を迎えますが、今まで5大陸の15ヶ国・17都市においてキャンプを通算30回開催してきました。

のべ130名以上のNBA/WNBAの現役・引退選手とNBA全チームから100名以上のチーム・スタッフがキャンプのコーチとして参加しており、参加選手は100以上の国と地域から1,500人以上を集め、キャンプ参加選手のうち過去21名がNBAでドラフトを受けた実績があります。

 

アジアでは、2005年、2006年、2007年、2009年中国、2008年インド、2010年シンガポールで開催され、今回が7回目の開催となります。

いつ日本で開催されるのかと、首を長くして待ってました。

 

選手は、NBA、FIBA、参加各国協会により、バスケットボールのスキル、リーダーシップ、スポーツへの貢献等を基に選考されたトッププレイヤー達です。
日本初開催となる「BWBアジア2012」には、アジア、オーストラリア、ニュージーランドから選出された50名の18歳以下のトッププレイヤーが参加します。

日本からは誰が参加するのかな??

 

コーチにローランド・ブラックマンが居る。この人とは85年にASICSの関係でダラス・マーベリックスのサム・パーキンスと仕事した時のマーベリックスのPGで、スマートなバスケットをやる紳士的なスーパースターとして覚えてました。インディアナポリスのオールスターゲームで有った時は私のこと覚えていて手を振ってくれましたが、まだ覚えているかな(笑)

 

【名 称】バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズアジア2012 BASKETBALL WITHOUT BORDERS ASIA 2012 ~国境なきバスケットボール~

【日 程】2012(H24)年6 月13 日(水)~16 日(土)

【会 場】◎6/13(水)~15(金) : 味の素ナショナルトレーニングセンター
※味の素ナショナルトレーニングセンターは、会場の都合により見学はできません。
◎6/16(土) : アメリカンスクール・イン・ジャパン

 

【NBAプレイヤー】4名(予定)

・ディケンベ・ムトンボ/NBAグローバルアンバサダー(Dikembe Mutombo / NBA Global Ambassador)

・サミュエル・ダレンベア-/ヒューストン・ロケッツ(Samuel Dalembert / Houston Rockets)

・ウラジミール・ラドマノビッチ/アトランタ・ホークス(Vladimir Radmanovic / Atlanta Hawks)

他1名

【NBAコーチ】:4名(予定)

ローランド・ブラックマン/元NBAコーチ(Rolando Blackman / Former NBA Coach)

・デイブ・ホプラ/元NBAコーチ(Dave Hopla / Former NBA Coach)

・ロイド・ピアース/メンフィス・グリズリーズ(Lloyd Pierce / Memphis Grizzlies)

・ジェームス・ボレゴ/ニューオリンズ・ホーネッツ(James Borrego / New Orleans Hornets)

【主 催】NBA(全米プロバスケットボール協会) FIBA(国際バスケットボール連盟)
【主 管】ゼビオグループ(クロススポーツマーケティング株式会社)

【後 援】公益財団法人日本バスケットボール協会

先ほど横浜ビー・コルセアーズのコーチ・ゲーリーのインタビューのアテンド(付き添い)をしてきましたが、本当に良いことを言ふコーチです。

でもその内容をここで書くことは出来ません。

それはこのインタビューがバスケットボール専門サイトCAGER が行ったものだからです。

ゲーリーインタビュー5.29

コーチ・ゲーリーの話を聞いていて二人のアメリカの有名なコーチを思い出しました。

一人はUCLAを7連覇を含む10回の大学チャンピオンに輝いている名将ジョン・ウッドゥンです。

私はUCLAが優勝したところを73年(@セントルイス)と75年(@サンディエゴ)の2回見てます。

 

彼は著書の中で「コーチは教育者で無ければならないと言ってます。

単に技術だけを教えるのではなく、人間としての生き方、立ち振る舞いをも含めて指導しなくてはいけない、と言ふことです。

 

そしてもう一人、UNC(ノースカロライナ大)のディーン・スミス氏です。

彼とは直接インタビューしてます。

当初インタビュー時間は30分ほどと言はれていたのに、45分くらい話をしてくれました。

 

その中で印象深かった答えが何個か有りますが、、

「高校生をリクルート(選手勧誘)する時、一番大事なのことは何か?」

と言ふ質問に

卒業出来ること」と答えてくれました。

別にアーリーエントリーでNBAに取られることを嫌味に言ったわけじゃないですよ(笑)

バスケットだけじゃなく学問もシッカリとやれることが大事なんだ、と教えてくれたんです。

それに身体能力が高いだけや、バスケットだけ上手くても、強くなればフォーメイションの数を増えて来るので、頭が良くないと出来なくなりますからね。

 

更に「あなたの一番の自慢は?」と言ふ問いかけに

卒業すると大学院へ進む選手が多いこと」と答えました。

信じられないでしょ!

NBAへ一番多く選手を送り出したとか、あのマイケル・ジョーダンを教えたこと、なんて一言も出てきませんでした。

チーム関係者に聞くと、卒業後(または途中で)はNBAへ行かなければ大学院へ行くかどちらかだ、とも言ってました。

この言葉は関東の某大学関係者に聞かせてあげたいですね!!!

 

二人ともバスケットで天下を取ってますが、バスケットの技術を教えるだけじゃなく、勉強することや人間を磨くことも教えていたのですね。

 

日本のケイジャーも勉強しなくちゃダメだぞ!!

前から気になっていたのがピヴォット及びピヴォットフットの起源です。

ドリブルは床にパスした、と言ふ解釈でハーバード大の学生が行った、と以前書きました。

 

しかしずーっと気になっていたのがピヴォットのことです。

ピヴォットって誰がどうして発明、発見、又は作り出したのか、ズーっと気になってました。

 

それならば、バスケットの歴史のことは水谷 豊先生に聞くのが一番、と言ふことで先週の女子日本代表vsスロバキア代表チームの時に聞いてきました。

水谷先生は東京教育大卒業後桐朋学園にお勤めしていましたが、私が月刊Bsketball Illustrated誌の編集をしていた時にバスケットの歴史についての原稿を書いて貰っていたので、良く知って居ます。

 

カナダ人でYMCAトレーニングスクールの講師ジェームス・ネイスミス氏は1981年にマサチューセッツ州スプリングフィールド のYMCAで、雪の多いこの地方で冬場に行うフットボールの代わりになる体力を使うスポーツとして考え出したのがバスケットボールです。

その時ネイスミスは13のルールを考えましたが、その第三番目に「A player cannot run with the ball.The  player must throw it from the spot on which he catches it; allowance to be made for man who catches the ball when running at good speed.

とあります。手っ取り早く訳すと「選手はボールを持って走ってはいけない。選手はキャッチした場所から(ボール)を投げなければいけない。しかしある程度の速さで走っているときにキャッチした時は許される」

つまり、止まってボールをキャッチしたら動いてはいけなかったわけです。

となるとディフェンス側はボールを持った選手に強いプレッシャーを掛けますよね。

そんなある時、ボールを持った選手が逃げようとして片足を引いてしまった、と考えられます。

でも片足が付いていたのでRunではない、だから合法的だろう。

そこからピヴォットの定義が生まれたらしいのです。

文献で残されていないのでハッキリしないが、偶然の産物で、それがルール化されたのではないか、と言ふのが大方の見方だと水谷先生は言ってました。

 

良い話でしたねー。

ちなみにスプリングフィールド(Spring field)と言ふ地名はアメリカ国中に多く有り、イリノイ州の州都もそうなので間違わないように。

現在はバスケットボールの殿堂(Naithmis Memorial Basketball Hall of Fame)が有ります。

ちなみに私は建物を建て替える前に行きました。

Facebookの青柳さんの投稿からパクッてきました。

面白いから

徐々に本領発揮する所なんか 憎い演出だよね。

まあ 見てよ(笑)

 

アービングって16日に書いた アービングが新人王 の彼のことです。

今回は第四回目におなります。

本当に上手くなりたい人はぜひ参加すべき。

JBLやbjリーグの選手にも最適。

NBA選手にならなくてもプロレベルになりたい人向き。

ここは私がよく知っている地に足の着いた活動をしている西田さんがやっているところだから間違いありません。

この程度の金額なら安いものです。本当に上手だったらプロサマーキャンプにも参加できるんだし。

詳しくは↓のアドレスから。

http://dream7-japan.com/blog/2012/04/test.html

もっと説明したいんだけど、明日からカンフェレンス・セミファイナルスが始まるので、てんてこ舞いで書いてる時間が有りません(涙)

以前TVでやってたのを見たことある。

ロングシュートだねー

日本人もTVの企画ものでやってた筈だけど、五十嵐ナンチャラって言ふ若い役者(アイドル?)だった。

昨日書いた ビーコル 強力PF獲得!! の中で唯一正しい内容がWat Misakaのことです。

彼は1944年のNCAAトーナメントで優勝したユタ大のスタメンで、身長はたったの170㎝、当時の日本人としては大きかったのでしょうか?

その小さな選手が頑張っていたので、ファイナルの15,000人の観客は彼のプレーに見入ったとか。

得点としてはオーバータイムで42-40で勝利したなかで4得点を挙げてます。

三阪 亙 Misaka Wataru1923年アメリカ、ユタ州生まれ

47年NIT(National Invitation Tournament)優勝

そしてBAA(Basketball LAssociation of America のちのNBA)ニューヨークニックス入り。

しかしたった3ゲームしか出場させてもらえず7得点しか記録が残っていない。

この理由は、単にシュート力が足らないと言ふだけでは無かったようだ、世界大戦直後ですからね。

 

詳しくは ここに日本語で書いてあります。

NBA.COMはここをクリック して下さい。

彼の言葉も入っている公式ホームページ(?)は ここをクリック して下さい。但し英文です

今年で3回目のトルネード・ジュニア・ツアー、前回は高校の後輩の倅、今回はブレイカーズのサダ選手が一人参加してます。

トルネード・ジュニアって何? って方は トルネード・ジュニア今年度もやります。 をご覧ください。

シアトルで、マイアミーヒートの夏の期間トレーニングしたジェイソン・バスケットから教えてもらったり、NBA観戦したり、地元チームとゲームをしたり、そればかりか英会話のレッスンを受け、アウトレットへ買い物に行ったり、スタバの1号店でお茶したり、、、、

大きく言へばアメリカの文化を勉強するのが目的の子供用ツアーです。

 

初日からのことはこのブログをお読み下さい。 翌日分を見たいときはBlog欄上の next entry→ をクリックして下さい。

と言っても昔のことですけど、、、

 

昔のバスケットボール・イラストレイテッド誌を探しものをしていたら、面白い記事を見つけました、1969年9月号です。

デニスロン本文イラストVOL4NO5

 

記事を書いているのはマイケル・バーガーさん、私が担当していて、奥さんがマイケルさんのことを「マイコー」って呼ぶのが新鮮でしたね。

バーガーさんはアメリカの新聞「サンフランシスコ・クロニクル紙」の日本特派員で、奥さんが日本人でした。当時ヨチヨチ歩きのジュリアちゃんと言ふ御嬢さんが居て、結構う気に入って貰っていたようです。だけど、今は40歳を超えてるんですね。俺も年取る訳だよ(笑)

 

69年NBAドラフトでサンフランシスコ・ウォリアーズ(現ゴールデンステート)は一人の女性をドラフトしようと目論んでいました。

彼女の名前は「デニス・ロング」 Avg.(1ゲーム平均得点)70点あげるアイオワ州ユニオン・ウィッテン高校の180㎝のバスケット選手です。

彼女の1ゲーム最高得点記録は111点、あのウィルト・チェンバレンより11点も多いんです、参ったかチェンバレン!!

 

ドラフトはNBAから認められませんでしたが、ウォリアーズ・オーナーのフランクリン・ミューリー氏が立ち上げようとした女子プロ・リーグでプレーすることになりました。

 

最高得点111点、70点PPG(平均得点)は凄すぎる!!!!

まあ 当時は現代とはちょっと事情が違っていて、高校女子はハーフコートに区分けされていて、オフェンスチームとディフェンス・チームに分かれていたので、大量点が取れたようです。

 

ちなみにこの年のドラフト全体1位指名権はバックスが持っていて,UCLAのルー・アルスィンダーを選びました。彼はその後ブラックモスリムに改宗して名前をカリーム・アブドル=ジャバーに変えました。

こう書いても、コアなNBAファン以外は判らない人がほとんどでしょう。

1960年代と70年代のNBAの強力なライバルとして知られていた二人です。

バスケットおよびNBAでライバルと言ふとマジック・ジョンソンvsラリー・バードでしょうか?

でもラッセルvsチェンバレンは、まるで同じセンターと言ふポジションなうえ「オフェンスのチェンバレンvsディフェンスのラッセル」と好対照だったこともあり、この二人のライバルの出現がその時代のNBAを盛り上げました。

 

で、私はラッセルが好きだったんです。

何回か書きましたけど、私がNBAのことを知り始めた66年ころ(つまり日本がアメリカのバスケットについて知り始めたころですが)活躍していたのがこの二人で、特にラッセルのいたボストン・セルティックスがいはゆる「王朝」時代だったので、アメリカの専門誌や雑誌を見るとアメリカのバスケット=NBA=セルティックス、と言ふ構図でした。

つまり、アメリカの情報を得ることはセルティックスの情報を得ることであり、その主役のラッセルの情報は自然に私の中に入ってきた訳です。

 

その上セルティックスはアンセルフィッシュな選手の集まりのチームで、ディフェンスが強いと言ふことが私の心に響き、ラッセルの心理戦に興味をひかれたこともあってラッセルのファンになってしまったんです。

 

ラッセルvsチェンバレンと言ふとやはり「ディフェンスvsオフェンス」ですね、つまり「自己中心vsアンセルフィッシュ」となります。

チェンバレン・ファンの人はこれから先は読まないで下さい(笑)

チェンバレンがすごい才能の持ち主だと思ますよ。

リバウンドだってラッセルより若干多く取ってるし、アシストもラッセルを上回っているし、勿論得点は倍以上稼いでいます。

個人記録の数はラッセルが24こなのに対しチェンバレンは3倍以上の79個!!

個人記録でラッセルが勝っているとしたらFTパーセンテージかな、それだってラッセル56.1%vs51.1%だから、50歩100歩だよね(笑)

でも決定的に違うのはリングの数。

チェンバレンが66-67シクサーズ時代と71-72レイカーズ時代の2個に対して、ラッセルは11個。全部の指にはめてもまだ余る(笑)

 

チェンバレンは昔、セルティックスには多くのホール・オブ・フェイマー(バスケットボールの殿堂入りした選手)が居ることから「うまい選手を集めれば勝てるさ」とセルティックスのことを皮肉っているが、実はチェンバレンの周りには同じようにホール・オブ・フェイマーは沢山いたので、それはお門違では?!

 

ちなみにチェンバレンは異性交際が派手で、生涯ベッドを共にした女性は2万人を下らない、と豪語してたそうです。

ちなみにチェンバレンは引退後バレーボールもやっていて、そのスパイクは天井から打ち込まれたようだ、と相手選手が言っていたとか。

ちなみにチェンバレンは213㎝、ラッセルは208㎝でした。

ちなみにラッセルはサウスポーです。

ちなみにラッセルは「大学、オリンピック、NBA」の全てのカテゴリーで優勝してます、それも13か月の間に、です。

ちなみに65年にチェンバレンのサラリーが10万ドルと発表された後、セルティックスはラッセルと10万1ドルで契約する、発表しました。チームとしてもチェンバレンに対抗心を燃やしていたのでしょう(笑)

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