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初めて書いたNBA話は「BILL RUSSEL」でしたが、 スポーツ界でも初と言えるスポーツ・ファッションの連載がNo.6から始まったと前々回に書きました。

当時はバスケ・ファッションってそれ程確立されてなかったものの、バスケやる人はお洒落でセンス良かったとひます、少なくとも他の運動部よりは。

とは言へ練習時のウェアはたいしたものは着てませんでしたね、ほんの少数派がポロシャツを着てた程度で、殆どは襟と袖先に別色のパイピング(伸縮性の高い生地で縁取りしたもので、生地が4重になり野暮ったい。

パンツも無地のサテン(ツヤのある生地)やユニフォームが古くなったもの。

そしてソックスと言へば、登山用の毛糸のソックスを履いてましたね。←私たちの世代のアルアルです(笑)

ユニフォームにしてもまるで天と地の差がありました。

それでも大学は立教大、日本大、日体大等々は脇にパネル(幅が太いライン)やラインが入り胸のチームロゴ等の2色使いで少しにぎやかさを出してましたが、日本リーグを始めとする実業団チームは地味でしたね。
また当時は現在のようにユニフォームのオーダーシステムは無く、既存の地味なシャツに胸マークをどう入れるかだけのオプションでした。

 

ところがアメリカの本を見ていると、全然イメージが違います。脇・首繰りにはラインが入っているし、脇もパネルやラインが多色で入っています。CONVERSEのイヤーブックには高校でも大学並みのデザインのユニフォームのチームが殆どで、見ていて羨ましかったですね――。

 

そこで、日本バスケのユニフォームやウェアの意識改革をしなければ、と言ふ考えで「Fashon of Five」と言ふコラムを作ったのです。と言ふのは嘘です(笑)

そんな高邁な考え方は無く、ただ単にファッションに関する記事を書いてみたいなー!って感じですよ、まだ二十歳前ですからね(笑)。

 

最初に書いたのはヘアスタイルのことで、次にTシャツ関係←当時はたいしたTシャツがありませんでしたから。

当初はそれほど調査もしてませんで、いい加減なことも書いてましたが(笑)

 

ユニフォームのデザインについて書いたのはVol.2 No.2で、NBAチームのデザインをイラストで描いてみました、今見るとチャチですね――(笑)

デザイン的には当時の日本とは大違いでしたのでこれは可成り反響を呼びました。

 

この辺りからユニフォームのデザインについて真面目に考えてきたと思ひます。

色に関しても、デザインに関してもバラバラだったので意識改革をしようと考えました。

上段右はサンフランシスコ・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)のユニフォームで、胸側は「The CITY」と書いてありますが、当時サンフランシスコに金融の中心地があったことから英国のCITYを真似て付けた、とか聞いた記憶があります。円の中はゴールデンゲイト・ブリッジですが、当時は2本書いてありましたが、現在は片方の1本だけですね。
背中の番号は地元の名物ケーブルカーのシルエットの中に入れてあり、これでNBA最優秀デザイン賞を貰っています。

下段右はシンシナティ―・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス←カンザスシティ・キングス←カンザスシティ・オマハ・キングス) 地味ですがパンツの裾と脇が特徴があり、ルー・アルスィンダーが居たUCLAのオリジナル・デザインです。NBAも含め全米の半数近いチームがこのデザインになったほど流行りました。あのセルティックスもこうなりましたからね!

判り辛いのですが、レイカーズとニックスとロイヤルズのパンツが前開きになっているのです。これは古いタイプです。
当時は、前が開くのと開かないものが混在してました、過渡期だったんですね。
前開きのものはウエストにしっかりとバックルで止めるようになっていました。

ウエスト・ベルト部分のラインは、色違いのテープを縫い付けてあります。手間がかかってました。

 

今日はこの辺りで     to be continued

イラスト(月刊専門誌Basketball Illustrated)の続き その2です。

私は一応日本大学芸術学部美術デザイン科に通っていたので、既にいた清水さんや久保島君の二人よりは美的才能が有った(笑)のでレイアウトや挿絵なんかも担当しました。

勿論大会は取材に行きました。
バスケの聖地・代々木第二体育館へタダで入れるって、優越感に浸れましたね(笑)

 

私が初めて連載を持ったのはVol.1 No.5からでした、その時のNBAスーパースターのビル・ラッセルについて書いた「BILL RUSSELL」と言ふものです。

今は時効になっていると思ひますが(笑)アメリカのスポーツ雑誌を読み漁って、翻訳して書いたものです。

残念ながらこの号が見当たりません(^^;

日本で初となるアメリカ・バスケについての連載です。

そしてバスケ界ならずスポーツ界でも初と言えるスポーツ・ファッションの連載がその翌号No.6から始まりました。勿論執筆者は私です!!(笑)

今読み返せば恥ずかしくて、よくこんなチャチな文を書いていたものだと(^^;

でも日本初、もしかすると世界初かもしれません!!

1966年8月号,半世紀以上も昔のことです!!
これについては次回 書きます。

 

 

翌号のNo.7、9月号はインターハイ(以下IH)特集号で、私個人として初のIH取材どころか、IHへ行ったのは初でした。

この時、男子は千葉の習志野高、女子は安城学園女子短大付属高でした。


男子優勝候補は日大山形高と中大付属高で、女子は安城がダントツでした。習志野に関して言へば、偶々1回戦から見ていて、特に目立ったのは2年生の伊藤くらいで、ゾーンを使ったディフェンスで1点差や逆転勝ちが多く、期待はしてませんでしたが、あれよあれよと言ふまに決勝へコマを進め、ついにはその後大学で大活躍する今井、京谷や中村を擁する日大山形高を56-55で下し初優勝しました。

女子は小林、小栗、下総と言ふスーパー高校生を擁する安城が宇都宮女商に圧勝して初優勝しました。宇女商は翌年優勝してます。生井けい子は未だいません。

 

 

「BILL RUSSELL」は個人について書いたものですが、アメリカのバスケについての連載は少し遅れ1967年 Vol.2No.1 3月号でした、

題名は「ピーチ・バスケット」ネイスミス氏が発明し初ゲームのゴールが桃の収穫籠だったことから名付けました。

初回は大学について書いてますねー、偉そうに!!(笑)

今思へば、良く調べたものです。当時はネットもメールもないので、日本で販売しているアメリカのスポーツ雑誌等でしか調べることは出来ませんでした。だからこのコラムを書くのには100冊近い雑誌を買っていたはずです。

偶々編集部があった原宿はアメリカ人が多く、駅前のコープ・オリンピアの地下のスーパーマーケットにアメリカの雑誌売り場がありSports Illustrated、Sportや年1回発行するアメリカのバスケ本があったので、そこで仕入れていました。
銀座のイエナ書店もバスケやスポーツ関係が多かったのですが単行本が多かったようです。

今読んだら、間違いが結構あると思ひます(^^;

でも当時としては画期的だったはずだし、誰も間違いに気が付かなかったはず(笑)

 

このピーチバスケットの連載は長かったですね!

今日はここ迄。 To be contenued

暫くこのブログを活用していませんでしたが、ソロソロと再開したひと思ひます。

実を言ふとパスワードを忘れてまして(^^;

 

今まではFacebookで色々と書き込みしましたが、保存すると言ふことではやはりブログの方が良いと思ひまして。

 

第一回目は、私の原点である月刊専門誌「Basketball Illustrated(バスケットボール・イラストレイテッド)誌」(通称「イラスト」)について書きます。

 

前回の東京オリンピックの翌年1965年、大学バスケ界名門の東京教育大学(以後 教育大)バスケ部OBの機関紙として企画されたものです。

OBである吉井四郎氏(前年の東京オリンピック、日本ナショナルチームのヘッドコーチ)の技術論を広めたいと言ふことがあったようです。

*ナショナルチームとは、現在は日本代表と言はれています←つまらない言い方ですね!!

 

教育大OBの中心的存在だった鈴木正三先生(当時学習院大教授)が、吉井先生の子分である笠原成元氏を中心的執筆者として企画されました。発刊当時は隔月刊でした。

大会を中心とした戦評と技術指導の2本立てでした。

イラストは当時画期的な雑誌でした。
本のサイズからして他とは違います。当時はB-5版と言ふ今の週刊誌と同じ大きさが主流で、編集の仕方では 雑誌は殆どが今の週刊誌同様、写真が奇麗な「グラビア・ページ」と文字が主流の「本文」とに分かれていました。グラビアの方が製版に価格が高いため、写真ページを別扱いにしてたわけです。

 

その当時、今から50年以上も前にA4版全ページ グラビア印刷でしたから、画期的です。

今考えれば、、

そこで上の発刊当時の表紙を見てください。
上段左から 創刊号(Vol.1 No.1)は直ぐにバスケと判るボールをアレンジした写真ですね。

 

真ん中 当時のレフリー・シャツのゼブラ模様を使った新しいデザインになってます。

 

右 [Basketball Illustrated]のロゴが変わりました、アメリカのスポーツ週刊誌[Sport Illustrated](通称スポイラ)のパクリですね(笑)

表紙デザイン的には一番貧弱です(笑)

 

そして下段の表紙をよく見て下さい。

左から Vol.1 No.1 、Vol1. No.2、Vol.1 No.3と書いてあります。

つまり創刊3号は2個あるんです(^^;

と言ふのは、生臭い話になりますが、最初の創刊号を担当した人が年間購読料を持ち逃げしたんです。

それで編集部は大変だったようですが、当初営業を担当してた清水陸生氏が借金を背負った形で引き継ぎ、再びVol.1 No.1から始めた、と言ふわけです。

 

その当時、そんなことを知らない大学1年生の私はフラッと編集部に遊びに行き、ズルズルとそのままバスケ界にのめり込んでしまいました(笑)

 

編集部と言ふか事務所は原宿の皇室駅の裏側辺り、渋谷区原宿3丁目296 小野設計事務所の1階にありました。今は区画整理され、行っても多分判らないと思ひます。

編集部と言っても清水氏と高校の後輩で浪人していた久保島(?)君しか居ない状態で、そこにNBAの雑誌があったことに驚きました、何しろアメリカのバスケなんて、オリンピック以外知りませんでしたから(^^;

 

最初のVol.1 No.1の内容は前年のオリンピック・メンバー(当時は未だ女子の競技は行はれず、男子だけでした)が紹介されていましたので、それを見ましょう、古い方なら「懐かしい!!」と言ふでしょうが、殆どの方は「知らない!!」でしょうね(笑)


左から紹介します。

奈良 節雄(175cm) 立教大→日本鉱業 真面目な選手、3枚腰と呼ばれジャンプがグイングイングインと3段階で伸びると称された小さいフォワードでした。

 

若林 薫(178cm) 教育大→日本鋼管 当時では大型PG。BBIQが高く冷静でクレバーな選手。引退後は鋼管のコーチにもなった。その時技術解説を連載していただき、私が担当しました!

 

志賀 政司(175cm) 明治大→日本鉱業 この人も小さいがよく跳ぶフォワード。真面目な人です。

 

中村 邦彦(189cm) 明治学院大→日本鉱業 大型シューター バスケ界では無名の大学から実業団の名門チームに入ったシンデレラ・ボーイ、風貌からエリックさんと呼ばれてました。日本実業団連盟の理事もされ改革的な人でした。

海保 宣生(168cm) 立教大→住友金属 168㎝のPG。良く動き、ATBが得意でシュートもねじ込むガッツ溢れる好選手で、小さい選手のあこがれの的でした! 引退後はJリーグ鹿島の社長やバスケ協会や実連の理事等もされ期待してたのですが、アイデアマンぶりを発揮することもなく、亡くなられました。実連時代は可愛がってもらいました。

 

梅 勝夫(182cm) 立教大→積水化学 若いシューターでした。日本リーグ1部チームへ行ってればもっと活躍できたはずでしたが、、

 

増田 貴史(183cm) 慶應義塾大→住友金属 天才的シューター 現在木内、引退後は日本協会の理事長になっている。

 

藤江 精二(191㎝) 日本大→三井生命 大きいのに動けて走れるフォワード

 

諸山 文彦(186cm) 日本大→日本鋼管 元祖ミスターバスケット。オールラウンドのフォワード、外からのシュートも入る。今でも時々プレーしているとか、、

 

小玉 晃(196cm) 教育大→日本鉱業 この身長で動けて走れて、当時は最長身者として期待された。日本鉱業にはガードで166㎝の児玉さんが在籍していて2人のコダマでしたが、ガードの児玉さんは「チビダマ」と区別してました(笑)

 

角田 勝次(196cm) 明治大→日本鉱業 小玉と共に196㎝で日本のゴール下を守りました。完全なセンター・タイプです。

 

江川 嘉孝(183cm) 明治大→八幡製鉄 諸山さんと同期で同身長のガッツ溢れるフォワード。外のシュートもインサイドでもどこでも得点できる選手で、私の憧れの選手でもありました!

 

今回はここまでにしておきましょう。

次回は 明日か明後日にも、、

報道では新元号発表は4月1日11時半頃と発表されていたが、政府は混乱を避けるため4月1日00時00分に発表するよう変更した。 

発表したのは既報通り菅官房長官で、小渕氏と同様 木枠の額に入れたものを掲げ、それはネットでも配信された。 

民間では「安永」「安久」とか数多く予想されたが、これらはTVやネットで発表されポピュラーになりすぎたため、採用されなかったが、「安」と言ふ文字は使うこととなった。

理由として、「平成」時代は戦争こそなかったものの、東日本大震災を始め天災や人災が多く発生したことから、「安全」「安心」「安泰」等に関連した文字が良い、ということで「」の文字を使用することにした。 

一部では安倍総理が「俺の名前から1文字使用しろ」とゴリ押ししたとも伝えられているが、定かではない。 

色々と討議された中で、自己中心になりがちな現代を悔い改めるため、「親」や「目上の人」を敬う、つまり「他人を尊敬する世の中になって欲しい」とのことから、親孝行で使われる「孝」を使うことに決め、「安孝」と決定された。

読み方は「アンコウ」となる!

「あんたか」とも読めるな!

【決勝戦】
・2018年9月17日(祝・月) 13:00
・障害者スポーツ文化センター 横浜ラポール メインアリーナ

Horsetail vs 神奈川JUNKS

主審:田谷 敏行  副審:谷田 章  土屋 和四

・スタメン
Horsetail:5小田 勇人(持ち点⦅以下同じ⦆1.5円内)、9成毛 裕継(3.5 上)、11櫛田 浩二(1.0 円内)、14佐藤 善昭(3.0 円外)、17河野 俊介(2.5 円外)計11,5点
JUNKS:8伊東 良平(2.0 円内)、10斉藤 忠明(2.0 円外)、12深澤 康弘(1.5 円内)、14佐々木 操(3.5 上)、15橘内 祐太郎(2.0円外)、17岸本 雅樹(1.5 円内)計12.5点

◆関東6チームに加え、東北から「東北DREAMs」と関西から「キャロッツ」の計8チームで行はれたこのトーナメントは準決勝でキャロッツを破った神奈川JUNKSとバスターズを前日に下したHorsetailとの間で行はれました。
6月の選手権大会では準決勝で対戦し、この時は54‐48でJUNKSが勝っているが、このゲームで18得点の円内・伊東と12得点の円外・山口がこの日は出場していない。ここまでは8人のメンバーで入れ替わりで休ませるJUNKSが、今日はメンバーが揃わずベンチには1人だけなのでどう言ふ展開になるか?

ツインバスケットボール決勝

JUNKSは選手権大会MVPに選ばれた円外シューター#15橘内の円外シュート

 

JUNKSは上シューターの#14佐藤が上ゴールで得点するが、ディフェンスが良いHorsetailはブロックでJUNKSの動きを止めさらに円内も固め、ターンノーバーを誘いリードすると、残4分17秒、12‐10とHorsetailがリードしたところで早くもJUNKSがタイムアウトを要求。
タイムアウト明けにJUNKSは2ゴール連取して一度は逆転するものの18‐18と同点で第1ピリオド終了。
円内・伊東が居ないため#14佐々木の上ゴールを中心に攻めるJUNKSと、良いディフェンスから円内ゴールを狙うHorsetailで対照的な攻め方となった。
残2分48秒、32-28とされたところでJUNKSが2度目のタイムアウトを取り下ゴールを固める作戦に出ると、Horsetailはポイントガード#9成毛の上ゴールへの攻撃に切り替え2連続でシュートを決め、更にロングパスから#14佐藤が円外シュートを決め38‐30とリードして前半を終了。
Horsetailの試合巧者ぶりが際立った前半終盤だった。

https://www.facebook.com/takao.ando.5/videos/1932585123464449/?t=57

後半、車椅子ラグビー日本代表で若く運動量の多い#17羽賀 理之がHorsetailに遅れて到着。これでHorsetailは上シューターが2人となり、1人のJUNKSより優位かと思はれたが、羽賀が力みすぎで歯車が上手くかみ合はない。それでもJUNKSディフェンスが#17羽賀に集中するため、裏を突いて#9成毛から円内シューター#11櫛田へ良いパスが渡り得点する。
それに対しJUNKSは入れられた後の切り替えが早く、長いパスでの速攻で入れ返すことが多くなり、それほど点数は開かない。
残4分42秒44-38と点差が縮まらないためかJUNKSがタイムアウトを取る。その後もHorsetailは前からボールに対し強いプレッシャーをかけるが、ボールが第1線を越すと脆い面もあり、JUNKSの選手権MVP男#15橘内に前を走られ、長いパスを通され、そこから円内シューターへパスして得点することも多かったが、点差は縮まらず50-43で第3ピリオド終了。
最終ピリオドで逆転を狙いたいJUNKSはロングパスでの#15橘内の円外シュートと、円外シュートと見せかけ円内の#10斉藤へパスしシュートさせ得点するが、この日メンバーが少ない上に2ゲーム目(1ゲーム目はダブル・オーバータイム)と言ふ事もあり、プレーに精度を欠き、そこからのミスをHorsetailは#17河野の円外シュートが良く決まり、更に円内で#11櫛田が決めるため、徐々に差が開き71‐59でHorsetailが選手権大会準決勝の雪辱を果たした!

【個人得点】

Horsetail:#11櫛田(円内)24点、#5小田(円内)14点、#17河野(円外)11点、#14佐藤(円外)8点
JUNKS:#15橘内(円外)18点、#17岸本(円内)13点、#12深津(円内)10点、#14佐々木(上)8点

このゲームに先立って行はれた準決勝JUNKS vs キャロッツ戦はダブル・オーバータイム(再延長戦)で、敗者戦の横浜レッドブリックス vs 千葉ピーナッツ戦もオーバータイムとなるなど白熱した戦いが繰り広げられた!!

◆優 勝-Horsetail
準優勝-神奈川JUNKS
3 位-バスターズ

なおツインバスケットボールの詳細についてはここをご覧下さい。
http://www.twinbasket-tokai.com/twin/twin.htm

 

ツインバスケットボール18閉会式

ツインバスケットボール18閉会式

 

 

現在 Bリーグ中地区6位の横浜ビーコルセアーズ(以下ビーコル)を楽天が買収すると三木谷浩史代表取締役会長兼社長最高執行役員(以下CEO)が4月1日12時に発表した。

楽天ロゴ

NBAとパートナーシップを結ぶほどNBA好きで知られる三木谷CEOは海外はNBA、国内はビーコルを支援することで国内のバスケットボールを盛り上げたいことが理由と述べ、横浜と言ふブランド力に魅力を感じ、横浜市が掲げるスポーツ構想にのっとり今後進めて行きたいとのこと。

期間は来シーズンからと言ふことで、同じくBリーグの川崎を買収したDeNAを意識した模様で,特にエンターテインメント性が高く、人気が高いB-Roseがチアリーダーを務めるビーコル・ホームゲームを高く評価してます。

ユニフォームはイメージが良い現在のデザインを残し、NBAイメージ同様に楽天のロゴ・マークはNBA同様左肩口に小さくいれ、B-CORSAIRSのロゴを前面に打ち出し、広告は一切入れず、アメリカン・スポーツらしさを強調したいと述べてます。
なお製作は[305]

ビーコルジャージ

また楽天が手掛ける以上、強いチーム作りが第一条件とし、早速楽天アメリカを通じNBAを引退した某有名選手と交渉に入っているとのこと。

また日本人としては今年ジョージ・ワシントン大を卒業する渡邊雄太選手と交渉が進んでおり、その他にも現日本代表選手を数人補強すると言ってます。
勇太

また10年後の2028年にはみなとみらい地区に「ビーコル・アリーナ」となずける1万人収容の専用アリーナを建設予定。

設計施工はへーベルハウスが請け負うことが決まり、へーベルハウス初の大型建物としてプロジェクトを立ち上げると発表されました。

外壁にはリングを多数貼り付け、いつでもバスケットが出来るスペースにし、バスケットの町にしたいとのこと。

正式な承認は未だですが、今年の湘南フェスティバル記念シャツのデザインです。
今までとはひと味違うデザインにしました。

胸は淡いピンクとビビッドな明るいグリーンの2色です。17湘南フェスティバルカンプ

4月から私と湘南地区で教員として数多くの中学を強くし現在は車椅子バスケットの監督(バルセロナ五輪の全日本代表チーム監督)もしている金子幸広氏と一緒にバスケットボールのアカデミー(スクール)を開催しています。

ShonanHoopAcademyRogo

主に湘南地区の中学生のためのスクールです。

受講料は無料ですので、上手くなりたい、今の部活だけじゃ物足りない、と思っている中学生は、是非とも参加して下さい。

行く行くはチームを作り県内外のチームとゲームをすることも考えています。

毎週金曜日 19時~21時 開門は10分前です!!

藤沢市立片瀬中学 体育館
   藤沢駅前から江の島へ向かう県道467号線(夏場の昼は大変混むことで有名です(笑)) 「片瀬山入り口」 三叉路から入ったところで、駐車場も完備してます。

海沿い134号線からは「片瀬東浜」の三差路を「藤沢市街」方面へ、更に先の三差路を「藤沢市街」方面へ、そこから5分程度で「片瀬山入り口」に付きます。右先に「FUJI」スーパーがあります。

片瀬中案内地図

第9弾 受注会お申込みのみな様へ

10日頃 発送予定とお知らせしておりましたが、工場の遅れから、来週中ごろの発送となりました。

遅くなり、大変申し訳ございません。

第9弾受注会A12紺色カンプ

よろしくお願いいたします。

間際に申し込みが多くなりごたごたしてます。
申し込みしたのに返信が無い、と言ふ方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。
↓のコメントからでも結構です!

第9弾受注会A12紺色カンプ

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